日本史における時代区分は、人によってさまざまな区分わけがあり、どれが正しいかということははっきりとは言えません。
実際に区分わけの定説というのはなく、現代の日本史の流れの中で、古代、中世、近世、近代と大まかに区分わけをしているのが現状でしょう。
もっと言えば、古代でも旧石器時代、縄文時代、弥生時代、古墳時代と別れていて、どこが実際に境目なのかは確定的な史実はありません。
特に古代に至っては極端に資料が少ないということもあり、仮説的なもので判断されているものを多く存在しています。
古代の始期に至っては、邪馬台国論争と同じで、江戸時代から色々な説が語られています。
現代では3世紀、5世紀、7世紀説といわれ、よく七五三論争といわれています。
日本においても、人々の起源は約10万年前にさかのぼることができ、旧石器だの新石器といわれていますが、実際のところは推測に近い論争であり結論から言えば「わからない」が妥当かもしれません。
今回は古代の歴史の中で、素朴な疑問として「縄文人の漁業」をタイトルとして記していきます。釣り針や釣り糸は何で作られていたのかを、分かりやすく説明していきます。
良かったら最後までお付き合いねがいます。
古代縄文人は何の骨で釣り針を作っていたのか?
縄文人の釣り針は何の動物の骨がよく使われていたのか、今から約2000年以上1万年ほど前までさかのぼる縄文時代の初期から、形の上では現代とほとんど変わらない釣り針が使われていたことがわかっています。
ただ材質は初期のものにイノシシなどの骨を用いたものがありますが、数多く出土している縄文時代の釣り針の大部分は鹿の角で、まれにイノシシや犬の歯を使ったものがある程度です。
その理由は、釣り針のように細く削って仕上げるものは、強靭な材料を選ぶ必要があり、それは自然界の中では鹿の角に勝るものがなかったからです。
現代でもそうですが、鹿が人間に突進してくると、鹿の角は恐ろしい凶器と一緒で、一刺しで人間を殺傷してしまいます。
実際に戦国時代でも、武器に使われていたことがわかっていますが、それだけ強固で頑丈だということですね。
他の動物の骨も、単純な形のヤスとかヘラのような比較的大形のものには使われていました。
しかし、細くしかも「し」状にカーブする釣り針は、通常の動物の骨では脆く、すぐに折れてしまいます。
材質の特徴をよく知っていた縄文人は、用途に応じた材料を選んで効果的な釣り針をつくっていたわけです。
縄文人はどのような方法で、固い鹿の角を加工していたのか
縄文時代にはまだ金属製の利器はありませんよね。
いったいどのようにして石のナイフで削っていたのか、この疑問は昭和の中ごろまでは、歴史学でも謎とされていました。
鹿の角は初夏に新しい角が生え、それがだんだん硬化して、秋には立派な角になります。
テレビでも放映されますが、秋になると「奈良公園の鹿の角ぎり」が話題になります。現在でも1300頭ほどいるといわれていますが、文明の利器を使っても鹿の角切りは大変です。
実際に一度固くなった鹿の角は、現代の鉄ノコを使っても容易に切断できないほどの方さだといいます。
その固い角を縄文人は石のナイフで削り完成させたのですから驚くばかりです。
では、どうやって角を削ったのか、少し前までの定説として考えられていたのは、硬化した角でも、ある程度煮沸すると軟化するので、そのようにして柔らかくしてから削ったのだろう。
また、縄文時代でも酸化したものはあったはず、酢の中に長時間浸けておけば脱灰作用で角は軟化するので、その後にけずったのでは、と様ような意見が出されていました。
確かに、動物の骨は長時間煮たり酸につけたりすると柔らかくなり、石のナイフでも簡単に削ることができます。
しかし、素材はそのせいで極めて脆くなり、釣り針みたいな細くて強固な道具として加工できなくなります。
それでは縄文人は、一体どのようにしてあの固い鹿の角を石器で削っていたのでしょう。
貝塚などの遺跡を発掘していると、深い摩擦痕のついた鹿の角の破片が見つかることがあります。
私も貝塚の発掘には何度も携わっているので、こういう欠片は何度も確認していました。
確かに縄文人は何らかの方法で石器を使って削っていたのは確かなのですね。
ところが昭和34年(1959)、一人の研究者の偶然の動作でその謎が解き明かされました。
角をただの水で濡らして石器でこすると難なく削れた、ということです。
こんな単純なことが今までわからなかったということが不思議でなりませんが、研究者たちは少し難しく考えすぎていたのでしょう。
通常、骨角器などを製作する際の石器は、大半が切手の大きさか、せいぜい大人の親指の爪ほどの大きさの石のかけらです。
縄文人が実際に使ったものを観察すると、鋭い周辺の刃部には無数の刃こぼれがあり、擦り切りという動作を反復していたことがわかっています。
これらの石器は、打製石器を作る際に出る破片を利用していたとみられ、形は不揃いですが、石質はよく、かなり硬度の高い石が使われていたことがわかっています。
縄文人はどんな糸で釣り針をを結んでいたのか
ところで、釣り針には釣り糸が無ければ役に立ちませんよね。
では縄文人がどんな糸で釣り針を結んでいたのでしょうか。
遺跡からは石や土を焼いて焼いて作った釣り用のおもりは、いままでにたくさん出土していますが、残念ながら釣り糸が針に結ばれた状態で発見された例は今までにありません。
しかし、国内各地の泥灰層の発達した遺跡からは、植物繊維をひねり合わせた紐の類が検出されているので、縄文人が身近にあった植物の靭皮繊維(じんぴせんい)、いわいる表皮の下のアマ皮からつくる繊維のことで、漁網や釣り糸、さらには編み布の類まで作っていたことは確実です。
例えば、ふじづる、クワ、シナの木などから、良い繊維ができることがわかっています。
しかし、一番多く利用されたのは、日本中どこでも繁殖しているカラムシ(イラクサ科)ではないかと思います。
カラムシはとても丈夫なのと、どこでも大量に採取できますから、縄文時代では大いに利用されていたのではと推測します。
実際に実験されていますが、カラムシを加工し釣り糸として利用した場合、つまようじほどの太さに加工したものを、一升瓶ほどある魚を引っ張っても切れないということです。
9月ごろにカラムシを刈り、皮をむいて熱湯に通し、天日干しで干すと1日で繊維が取れます。
これを水の中に入れると、半透明がかって、強度は倍増するという研究結果が出ているので、特に漁具には最適の繊維だったはずです。
縄文人の漁業、まとめ
今から1万年前の人々がどのような道具を使い、またそれがどのように加工して使っていたのか。
実際に発掘などで出てくる釣り針の加工技術は凄いものがあります。
また、材質を知り用途に合わせたものを使う知恵もその当時から備わっていたと考えてもいいでしょう。
釣り針に至っては、現代とほとんど変わっていないような気がしますよね。
磨製石器などは今の大工道具の原型とされています。当時の人々が知恵を絞り、試行錯誤をして作っていった道具はやがて進化し、現代に至っています。
そこを知るときに、現代も今から1万年前の人々も考えることは、そして知恵を凝らすことはほとんど変わっていないかもしれませんね。
今日は最後までお読みいただきありがとうございました。またご機会があればお寄りいただければ幸いです。
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