小野川温泉、小野小町伝説が語る美人の湯

温泉開湯ストーリー

山形県米沢市小野川町に位置する「小野川温泉」、全国の温泉郷から見ても小さな温泉地ですが、自然が豊かなこの温泉街には「風流」という言葉がよく似合うような気がします。

今から25年前に初めて訪れた小野川温泉は、とても静かで大樽川の川の流れが夜のとばりの中で響き、蛍が暗闇の空間を演出するように光輝いていました。

6月に偶然訪れたこともあり、「ほたる祭り」みたいなものが開催されており、歓楽街がない温泉街がこの時期には多くの人が集まり、素晴らしい蛍の舞を見ていた記憶が今でも蘇ります。

今ではこの「ほたる祭り」は小野川温泉にとって一大行事になっていますが、現在でも風流で時の流れを忘れさせてくれる素晴らしい温泉郷だと思いますね。

今回はこの小野小町伝説で有名な「小野川温泉」の開湯の歴史をたどってみます。

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小野川温泉の風流はここにある

小野川温泉は、歴史的に見ると上杉15万石の城下町、山形県米沢市の郊外に位置します。

小高い山に囲まれた静かな湯の里で、素朴な街並み、共同浴場、歴史ある旅館、それに温泉熱を利用して卵をゆでている光景などが印象的な温泉街だと記憶しています。

天元台スキー場のある白布温泉(しらぶ)、古くから有名な温泉で米沢市の南部に位置する温泉や、西吾妻連峰天元台麓にある新高湯温泉は、多方面にわたり紹介はされていますが、小野川温泉はなぜか取り残された観があります。

実際に小野小町伝説がなければ、それこそ何もない平凡な温泉地ですが、それが無性に好きでたまらない常連客が多いと聞きました。

上記にも書いた通り、夜はネオンや客引きの喧騒がない代わりに、河鹿の声と蛍の光を肴に酒がすすむ、そんな温泉ですね。

私がはじめて訪れて泊まった宿は古くからこの地で旅館業を営む「扇屋旅館」でした。

ここに決めた理由は司馬遼太郎氏の『街道をゆく』第十巻の芋煮汁でも紹介されていたことに始まります。

司馬遼太郎氏は昭和51年の秋に宿泊し、「団体客用の宿とはちがい心あたたまるもてなしがありがたい」と書いています。

また、「土地の料理である舞茸をはじめとした茸料理、牛舌よりも旨い・・・」、とアケビ殻の油いため、そして名物の芋煮汁を絶賛していました。

泊まって初めて気づいたのは、小さな旅館宿はやはり常連客が多いということですが、この中に有名人や著名人が多いことに驚きました。

格式の高い宿になると、一般人の予約なしでは断られるケースが多いですが、飛び込みであろうと関係なし、扇屋さんの接客態度には私も感服した次第です。

きっと常連客も私と同じ、自然を酒の肴として風流を楽しみたいと思い、この地を訪れるのだろうと感じています。

泉質は「含硫黄ナトリウム カルシウム塩化物泉含ラジウム」、小野川温泉のうたい文句は「肌に優しい中性温泉、化粧水にも使用されていると言われているメタケイ酸を多く含む泉質で、「美人の湯」を全面的にアピールしています。

科学的にも証明されているとして、浴用と飲用の相乗効果が大いに期待されるとしています。

もともと、源泉温度が高く古くからある源泉温度は80.3度、どこの温泉でもそうですが、高温の源泉は温度管理が大変だと聞いています。

基本的には水で温度を下げて、入浴用として各旅館や入浴施設に供給していますが、近年、小野川温泉ではもうひとつの源泉が見つかり、泉質は同じで源泉温度は36度、低温と高温を混ぜることによって、温度管理を行い、源泉かけ流しを行っていると聞いています。

温泉は泉質によって人間の肌に与える影響が大きく変わりますが、この小野川温泉も小野小町以前に、動物発見説があり、何よりも温泉治療効果がわかる自然界の動物たちによって発見されたといえるでしょう。

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小野川温泉、小野小町伝説

さて、小野川温泉で検索すると、ほとんどが旅館や周辺観光に関する情報が出てきますが、当然のように「小野小町伝説」を筆頭に宣伝文句が登場します。

しかしながら、あくまでも「小野小町伝説がある温泉郷」と書いているだけで、深くは掘り下げていません。

これは小野小町伝説も各種の言い伝えがあるということで、実際にどれが本当かが、わからないというのが本音みたいですね。

今回は私が調べた中で、歴史上の各著名人が小野川温泉について書かれた資料を基に、記していきます。

「立ち別れ都の空を後に見て 何処(いずこ)を宿と定むものかな」

と一首の歌を書き置きし、姿を消した父君を探す決心をした小野小町が黒髪を断ち、十二単を黒染めの法(のり)の衣に引替え、都を旅立ったのは18歳の時でした。

東海の天にかかった頃には、病める身となり、三州峰の薬師に参籠し、大願成就の7日目に如来の御告げがあった。

「出羽の国吾妻川の辺りに出湯あり。これに浴せば御身の病癒ゆるのみか、御身が尋ぬる父君に遇ふことが出来る」

出羽に向かった小野小町ですが、奥州山脈の山道は険しく、吾妻川の水上である関谷に来た頃には、両足の自由がきかなくなってしまった。

道筋の大きな岩で休んでいると、山家に住む白髪の炯眼(けいがん)らしき一老翁来り、鍬(くわ)を杖つき小町に向かい「御身は都人と見え候が何故にお越しある所や」と問うた。

小町はなよやかに形を正し、欺々然々とその問に答えると、老翁は傍(そば)の一清流を指して、「お尋ねの川は是なり、薬師如来告げの出湯は、是より四五十町水下なれば道悪にして草深く、牛馬も通はぬ程であれば、婦女子の身にては行くことは叶はじ。拙者御案内仕(つかまつ)らん」。

と小町を背負って柴原草原の分け目なく飛鳥の如く駆けて行きて、出湯の場所に着き、「先刻来の話は此出湯にて候」と言い終わるや、老翁は一団の白煙と化して何処ともなく消えてしまった。

ああ有りがたやと湧出ずる岩間の湯壺に浴すれば、里人これを耳にして集まり、形ばかりの湯壺を作り杣人樵人の湯あみの場所としたのである。

小町はこの湯に三週間湯治し、病が全く癒えたところ、いつしか廻る宿縁の切っても切れぬ親子の中、不思議にも偶然吾妻川で釣りをしに来た父郡司と再会できた。

しかし、病後のため面変わりした小町を見た父は容易に我子と信ぜず、「我子は遠く都にあり、女の身として千里の路を遥々来られる道理なし、狐狸が変化にあらぬか」と疑った。

小町はさらば証拠にと襟を引き裂いて、出発当時の書置と一首の和歌とを出し父の疑念を解いたとのことです。

その後小町は承和四丁巳年(837)4月8日、峰の薬師堂を建てて、如来を勧請した。その時に詠んだ一首の和歌は、

立ち止まり四方の景色を見渡せば 峯のいさこに波の花かな

これは当温泉の塩の味を言い表しています。それが現在に残る小野小町発見とされている現在の共同湯「尼湯」なんですね。

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小野川温泉、小野小町伝説が語る美人の湯のまとめ

開湯伝説というのは、あくまでも温泉郷に伝わる宣伝用のうたい文句だと、とある著名人がある雑誌で語っていました。

確かにそうかもしれませんが、ひとえにそれだけとは限らないことが多く存在します。

例えば小野小町は今でいう古代の著名人、その名前を全面的に押し出すことによって、少しでも有名になろうと、過去にこの温泉を受け継いできた人々の努力がうかがえます。

動物発見説もある中で、あえて小野小町を起用した中には、少なからずも根拠があったのかもしれません。

ただ、伝説はあくまでも伝説、温泉は何があっても古代から脈々とこの地で湧き続けてきたわけです。

それを守ったきた湯守の人々の力は一応ではありません。伝説としてそして湯を守る力として伝説を語ることは大切だと感じています。

だからこそ、クレオパトラ・楊貴妃と並んで世界三大美女と言われる小野小町となれば、「美人になれる湯」ということを強調し、もっと広く宣伝してもいいのでは、と思ってしまいます。

しかし、そういうことをしないからこそ、本物の湯の里になるのかもしれません。

最後に小野小町伝説に由来する小野川温泉の観光動画を載せておきます。よかったら見てくださいね。

またご機会があればお寄りいただければ幸いです。今日は最後までお読みいただきありがとうございました。

※旅好きブログです。私が旅をした記事や観光関連の記事を載せています。見てくださいね!

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