邪馬台国は別府温泉だった!? 火山灰に封印された卑弥呼の王宮を読む

日本の歴史

幻の邪馬台国は日本史最大のミステリーであるとともに、本当に存在していたのか、歴史ファンであれば誰もが知りたいことですが、新たな新説が誕生しましたね。

タイトルを見て驚きました。「邪馬台国は別府温泉だった! 火山灰に封印された卑弥呼の王宮」、思わずポンペイ遺跡のことを思い出しましたが、このタイトルに魅了されてしまいました。

「湯の街別府が邪馬台国!?」、思わず本も読まずに「ありうる!」と思ってしまいましたね。

江戸時代から続く邪馬台国論争は、歴史学者であれば絶対に解明したい日本史最大の謎であるとともに、永遠のロマンかもしれません。

私も一人のアマチュア歴史家として40年もの間、日本史について調べてきました。このブログにも「日本の歴史」というカテゴリーで、日本に残る参考資料をもとに私論を企て記していますが、何文字書いても尽きることがありません。

さて、なぜ私がこの推論に興味を持ったか、それは36年前の私が書いた大学の卒業論文一説にあります。

高校1年生の時に、偶然に立ち寄った本屋で、邪馬台国論争の本を立ち読みしたことがきっかけですが、正直その本のタイトルは覚えていません。

それからは歴史本や歴史推理小説を読み漁り、大学は国文学と史学の道に進み、日々、古代史を勉強しました。

大学は別府市だったので、卒業論文も別府や大分県についての古代史を研究し、記したわけです。

その序文に私が記した文章の一説に、「もしかしたら邪馬台国は別府市だったのかもしれない。別府の石垣(別府市にある地名)あたりを深く掘ってみると温泉よりも邪馬台国の遺跡がでてくるのではと推理したくなる。」と記しています。

これはあくまでも推論ではなく、漠然とした考えであって、三国志に書かれている邪馬台国までの道のりを勝手に解釈して思ったことに他なりません。

この本にも記していますが、日本の上陸地点は北九州市、私もその当時、北九州市を起点に考えたら別府に到達したことを覚えています。

大分には他にも有力な宇佐説や大分南部説がありますが、邪馬台国に関してはすべてが推論でしかありません。

だからこそ、専門家や企業がこぞって参入していますが、素人でも独自の推論を立てて堂々と参入できる日本史上最大のミステリーだと思っています。

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邪馬台国は別府温泉だった! の著者「酒井正士」氏とは!?

湯けむり展望台から見た鉄輪温泉

湯けむり展望台から見た鉄輪温泉

もちろん、本を丸ごとコピペをするつもりは毛頭ありませんし、また、内容も詳しくは書くつもりはありません。

それは、仮説というものは、あくまでも私論であり、確定的な論文ではないということが前提にあり、それに対して批判や肯定をするつもりもありません。

何よりも興味があるのであれば、自分でこの本を買って読み、自分なりに解釈すればいいからです。

ここではあくまでも概要のみにとどめて記していきます。

さて、この本を読んでいるうちにわかりましたが、邪馬台国論争でいろいろな方たちが執筆している本や論文を読んでいるとともに、その当時の中国の文献にも着目し調査を行っていることに気づきます。

これは誰もがやっていることで特別なことではありませんが、何かを調べたいときは、原点に返って駒をひとつひとつ進めてみるということが大切ですが、もう一つ、調べたいことに対して他の説があれば、それをすべて確認したうえで推論を立てる、ということだと思います。

さて、この本のタイトルは、

「邪馬台国は別府温泉だった!」火山灰に封印された卑弥呼の王宮

いいタイトルですね。興味がある方は思いっきり惹かれるとおもいますよ。

推理小説のタイトルみたいで、私もこのタイトルをネットで見たときは驚いてすぐにクリックした一人です。

著者は「酒井正士」氏、農学博士、東京大学農学部農芸化学科卒。

東大を卒業してからは、株式会社ヤクルト本社中央研究所において生命科学、生物工学分野の研究に従事、現在は全国邪馬台国連絡協議会の会員でもある方です。

この本の序文にも記されていますが、

私は子供の頃から昆虫が大好きで、大学では昆虫が体内で分泌して自分の行動を制御する化学物質(昆虫ホルモン)について研究しました。

と記されています。

60歳を過ぎた今でもこの趣味は続いていて、蛾や蝶の幼虫に囲まれて暮らしているそうです。

また、専門分野は上記にも記したように、企業の研究所で生命科学の医薬・食品への応用で「生物が産生する生理活性物質」の研究を行ってきたそうです。

酒井氏の経歴を見る限りでは、全くといっていいほど歴史とは無縁の世界であり、ましては邪馬台国に関して長年にわたり研究してきた方でもありませんでした。

では、酒井氏がなぜ邪馬台国にはまったのか、そのきっかけは10年ほど前に買った、一冊の本との出会いだったと記しています。

その本は、推理小説作家の「高木彬光(たかぎあきみつ)」氏が書いた『邪馬台国の秘密』を読んだことにはじまるといっています。

この本は私も持っていますが、私がこの本を買ったのは約20年前ですが、酒井氏と同じように推理小説のつもりで買いました。

買った当初に思ったことは、小説などで邪馬台国が推理できるのか、と思いまた、タイトルにもひかれたこともあり軽い気持ちで読み始めたわけです。

ところが読んでいくうちに、酒井氏と同じようにこれは推理小説ではなく、邪馬台国を推理した論文だ、ということに気づきました。

少なからずも邪馬台国については、私論を持っていた自分ですが、まんまと嵌められたと苦笑いをしました。

一般的に定説とされている魏の使節団の日本上陸地点は、松浦半島、唐津・呼子付近とされていますが、これは江戸時代に新井白石が仮説を立てて以来、この説が長い間定説とされていて、今までに疑うことをしなかったことに端を発します。

ところが高木氏はこの小説の中で、現福岡県宗像市の神湊(こうのみなと)付近としています。

神湊といえば世界遺産「宗像大社、辺津宮」の近くであるとともに、古くから土着の豪族、「宗像氏」の本拠地でもある場所です。

また、邪馬台国の位置は、現大分県宇佐市に鎮座する「宇佐神宮」付近としていて、九州説の中でも新たな説として話題を呼んだそうです。

この小説は1973年に発表されていますが、まさに私が高校生の頃に立ち読みした邪馬台国論は、この本だったかもしれません。

さて、酒井氏ですが、面白いもう一つの趣味を持っていることが記されています。それは「ロケ地探し」だそうで、昆虫観察に次ぐ第二の趣味と記しています。

映像に写し込まれた当時の風景から、そこがどこなのかロケ地を特定することを楽しみとしています。

高度成長期以降、新しい道路やビルが建設され、川が暗渠(あんきょ)になり、日本の風景はこの半世紀に大きく様変わりしました。

ほとんどの方にとって理解しがたい趣味だとは思いますが、画面に映る微かな情報を頼りに場所を推理する作業は私にとってはなかなか面白いものです。

と記しています。

きっとこの趣味と邪馬台国論が重なり合って、邪馬台国を推理するきっかけとなったのでしょう。

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邪馬台国は別府温泉だった! 酒井氏が推理する内容とは!?

十文字原展望台から見た別府市内の風景

十文字原展望台から見た別府市内と別府湾

あくまでも大雑把な概要にとどめておきます。上記にも記したように、概要的にすべてを網羅してしまうと興味がある方にとっては答えを教えてしまうことになり、意味がありません。

正直、この本についてブログに載せることさえもかなり考えましたが、敢えてひとりのアマチュア歴史研究家として、こういう本はぜひ読んでほしい、という気持ちを込めて記していきます。

この本の推理する結論としては、タイトルにも出ている通り、大分県別府市ということです。

ただ、私個人の見解として、倭人伝の文章に邪馬台国を表す記述として「七万余戸」と書かれています。

現在の別府市の人口は約11万6千人ですから、当時の家族構成などを考慮すると邪馬台国の人口は30万人を超える数字になるのではと考えています。

例えば当時の邪馬台国の勢力範囲が、現在の大分県レベルの面積と考えれば納得がいきますが、別府市だけを考えると許容範囲を超えているとしか思えません。

あくまでも別府市は邪馬台国の中心的な都市であって、倭人伝に書かれているのは、勢力範囲の全体的な数字だと思うのですが、これも定かではないでしょう。

別府市の地形は三角錐状にできた地形で、背後に鶴見岳や他の山の火山帯がひかえています。今でもそうですが、間欠泉が露出している場所が多く、それがもとで世界最大の温泉地になっているわけです。

また、別府の記事にも書いていますが、古代の昔から現在の温泉地帯は「地獄原」と呼ばれていて人間が住める場所ではなかったと推測されます。

温泉が出るから栄えたのではなく、温泉が出るから人が近寄れなかったという方が正しいかもしれません。

ましては現代とは違い、当時は露出放置状態だったわけですから、狭い丘陵地帯に人間が住める空間は限られていたのではと推測できます。

当時の日本の海面水位は現在よりも約10mほど高かったと聞いています。これを考慮すると、さらに居住空間は狭くなってくるのがわかります。

果たして別府温泉の下には邪馬台国が眠っているのか、そういう場所を国の中心として樹立できたのかが疑問を呈するところでもあります。

さて、ところ変わって魏の使節団の上陸地点が北九州市としていることですが、厳密にいうと、現在の北九州市八幡東区枝光付近としています。

洞海湾沿いですが、当時の洞海湾の地形は現在よりも500mほど広かったと考えられています。

現在でもそうですが、船が停泊する場所はどこでもいいわけではありません。

洞海湾沿いの地形はフラットで、船着き場を造る場所としては利に適っていたかもしれません。

北部九州の日本海側の地形は意外と断崖絶壁が多く、潮の流れも速く、当時の手漕ぎ船レベルの船では停泊場所を選定するだけでも限定されてきます。

また、古代の交通手段のほとんどが船に頼っていたのですから、停泊場所の選定は最重要課題だったのではないでしょうか。

弥生時代の日本には、道というもがほとんど存在していませんでした。あるのは獣道に毛が生えたぐらいの道で、夏は茫々と草木が生えて、前を歩く人の姿さえもまともに見えないぐらいのものだと考えられています。

実際に倭人伝の中にも、邪馬台国に至るまでの陸行の中に、それらしき記述が書かれています。

当時の陸行を考えると、長い期間の移動は無理だったのではと推測されます。

倭人伝に書かれている末盧国は北九州市、そして邪馬台国は別府市となるわけです。

北九州市から南下していくわけですが、現在の10号線を別府に向かって進んでいくと伊都国、奴国、不彌国(ふみこく)の順で、倭人伝に書かれている距離と照らし合わせて別府市に至るという推理です。

では、魏志倭人伝とは何か

ここで少し魏志倭人伝について記させていただきます。歴史に興味のある方ならほとんどの方がご存じとは思いますが、念のために記しておきますね。

記事の中でもよく倭人伝とか、三国志と簡単に書いていますが、これはあくまでも略称であって正式名ではありません。

魏志倭人伝というのは、3世紀の中国の歴史家「陳寿(ちんじゅ)」が編纂した正史、『三国志』の一部になります。

この『三国志』というのは、魏志、蜀志、呉志の3部から構成されていますが、「魏志倭人伝」というのはあくまでも通称であり、正式には、魏志の第30巻「鳥丸鮮卑東夷伝(うがんせんぴとういでん)」の中の「倭人条」のことを指しています。

ネットでも「魏志倭人伝」と検索すれば、一番最初に「ウィキペディア」が出てきます。ただ、この中に書かれている記述は概要的な要素が多く、すべてを鵜呑みにすることはできないということを最初に申し上げておきます。

さて、「鳥丸鮮卑東夷伝(うがんせんぴとういでん)」というのはどういうことなのか、ということですが、この本で酒井氏も詳しく書かれていますが、「鳥丸鮮卑」は中国東北部からモンゴル高原の遊牧民族を指すことばです。

また、「東夷」というのは、当時の中国から見て東方の異民族を指す言葉です。

邪馬台国のことが書かれているのは、全30巻中の最後の30巻目に登場してきます。

「鳥丸鮮卑東夷伝」は約1万字で書かれていますが、そのうち「倭人条」は1986文字で記されています。

少ないですよね、このたった1986文字だけが邪馬台国を探す最大の資料となっているのですから、探す方はたまったものではありません。

逆に言えば、たったこれだけの文字しか書かれていないがために、しかも獏前的にしか記されていないがために色々な推測が成り立つとともに、解釈が可能なると言うことかもしれません。

『三国志』と大まかに言ってしまえば、現代で思い出すのは、RPGのゲームソフトや「レッドクリフ」で有名になった中国映画などが浮かびますよね。

当時の「漢」が衰退し、中国が「魏」、「蜀」、「呉」の三つの国に分断されて闘いの日々が続いた、まさに中国の「戦国時代」を象徴する歴史書の代表的な存在でしょう。

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邪馬台国は別府温泉だった!?  火山灰に封印された卑弥呼の王宮のまとめ

酒井氏はこの邪馬台国論を成立させるために、代表的なものだけでも100以上の参考文献やホームページを回覧し、自分なりに読解したうえで参考としているみたいです。

実際にはこの3倍ぐらいはあるかもしれません。幻の邪馬台国を調べるきっかけとなった本を読んでからわずか10年余りでこの別府説を成立させています。

実は別府説というのは、もう一つ存在しますが、実際には大きく取り上げらることはありませんでした。

そういう文献も読解した上での独自理論として成立させているので、少なからずも「邪馬台国論」の中で、ひとつの大きな歩みになるのかなと考えています。

別府市の山手の丘陵地に「十文字原展望台」という別府市を一望できる景勝地があります。

国東半島から弓なりに描かれた海岸線が大分市内まで続く景色は、まさに絶景の一言に尽きります。

この地で別府説を思い出し、三角錐状に広がる現代の別府市と、古代に存在したかもしれない邪馬台国を重ね合わせると、歴史へのロマンがさらに広がるでしょう。

興味のある方は是非一度この本を読んでいただきたいと思います。また、歴史に興味がない方もこの本がきっかけとなり、興味をもっていただけると幸いです。

歴史と旅は連動しています。私も温泉の歴史を探るために、一時期、日本全国を歩き回った経験があります。

旅をすれはするほど歴史的ロマンが広がり、意欲を掻き立ててくれます。

※現在政府主導のもと「Go To トラベル」キャンペーンが展開されていますが、ネットで宿泊予約を行うと自動的に適応されます。キャンペーンを使って宿泊をお考えであれば、こちらの方も参考にされてください。



また、ご機会があればよろしくお願いします。今日は最後までお読みいただきありがとうございました。

●参考資料
「邪馬台国は別府温泉だった!」火山灰に封印された卑弥呼の王宮 酒井正士
「邪馬台国はなかった」 古田武彦
「新版 卑弥呼の謎」 安本美典
「魏の使節団の上陸地点は北九州市だった!」 若松健二
「豊後国風土記」現代版翻訳

※ブログ内の記事はこちらからどうぞ。

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