内閣総理大臣の決め方、古今のわかりやすいお話!

政治・経済記事

8月28日の会見で、安部首相が正式に辞任を表明したわけですが、後継を決める自民党総裁選がスタートしました。

当初は出馬しないといっていた菅官房長官でしたが、安部首相の残り1年の任期を継承できる人物として各派閥の後押しもあり9月2日、正式に総裁選出馬を表明しています。

同じく立候補を表明している岸田政調会長、、そして石破元幹事長ですが、岸田派、石破派を除く5派閥がほぼ菅官房長官の指示にまわり、誰が見ても優位に立っているのは菅さんですよね。

無派閥の国会議員票の動きが気になるところですが、現状では菅さんが総裁の椅子を支柱に収めるのは間違いないでしょう。

現在の国会勢力は自民党と連立している公明党で過半数を占めているので、菅さんが自動的に第60代内閣総理大臣に選ばれるのですが、なんかね、いつもながらに菅さん周りから担がされているようにしか見えない様相なのですが、これでいいのかな、とも感じる次第です。

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内閣総理大臣の決め方とは!?

さて、内閣総理大臣がどのようにして決まるのか、知っている方も多いと思います。

これが本題ではないので、本当に簡単明瞭に説明しておきますね。

この説明を少ししておかないと本題との違いが明確にならないということもあり、読むのがめんどくさいかもしれませんがお付き合いくださいね。

さて、内閣総理大臣は国会議員のうちから指名される(日本国憲法第67条第1項)、当たり前のことですが、衆議院議員、参議院議員、のどちらでもいいんです。

知っている方もおられると思いますが、「代議士」と呼ばれる人は基本的に衆議院議員を表すもので、参議院議員はそれに該当しません。

また両院どちらでもいいといっても過去の総理大臣はすべて衆議院議員から選出されているということです。

これも長くなるので書きませんが、要するに法律上、優遇されているのは衆議院議員であって、日本の中での長い暗黙のしきたりみたいなものですよ。

内閣総理大臣も含めて内閣が解散すると同時に、議会では何よりも先に総理大臣指名選挙が優先され、衆参両院で選挙が行われます。

総理大臣候補の指名は、おのずと国会勢力、政党の数の原理ですから、与党の自民党と公明党の支持する代表者、おのずと党首と決まっています。

菅さんが自民党総裁選に勝ったら、総裁が指名候補になるのですから、自動的に指名され、次期内閣総理大臣に指名されるということですね。

当然、野党側からも総裁選に誰かを擁立し指名するわけですが、最大野党でもある立憲民主党の党首、枝野さんが指名されるでしょう。

しかしながら、先ほども記したようにあくまでも数の原理ですから、おのずと菅さんが勝利するのは目に見えていますから、内閣総理大臣は菅さんで決まりですね。

後は、憲法上の手続き等は色々とありますが、省略させていただきます。

詳しく知りたい方は「内閣総理大臣」を検索してウィキペディアを見ていただければ、詳しく解説しているのでわかると思います。

議会制ができた明治時代はどうだったのか?

現在の議会制が明治以来、変わらずに引き継がれているかと問えばそうではないんですね。

現行の憲法では上記にも記したように、日本国憲法第67条第1項により定まられていますが、明治憲法の下では奇妙なことに、総理大臣を決める手続きは何一つ明文化されていなかったんですね。

ただ、憲法の第10条に「天皇ハ・・・・・文武官ヲ任免ス・・・・・」とあって、総理大臣以下の国務大臣の任免が天皇大権に属すること、また、第55条には国務大臣が天皇に対して輔弼(ほひつ)の責任を負うこと、が明らかにされているに過ぎなかったのです。

だからっといって、天皇が自分自身の自由な判断で、大臣を任命したり罷免したりしていたわけではないんですね。

日本の天皇はヨーロッパの国王や皇帝と違って、明治維新まで何世紀もの間、自ら政治を行うことはしていなかったのですよね。簡単に言えば、この人たちは遊び人と同じだったわけですよ。

明治憲法でヨーロッパ的原理にもとずいた立憲君主制を採用したからといって、遊び人がいきなり真面目に仕事ができるかと言えばそうではなかったんですね。

さて、近代的内閣が成立したのは皆さんもご存知の通り、明治18年(1885)12月でしたよね。

初代の内閣総理大臣に任ぜられたのは、いわずと知れた「伊藤博文」さんでした。

この時は参議たちの意見を考慮に入れて、三条実美太政大臣が天皇に伊藤さんを推薦しているんですね。

伊藤博文と言えば、当時、ヨーロッパの憲法調査から帰国し、立憲制建設のために内政革命に全力を注いでおり、内閣制度設立も伊藤さんの立案によるものだったので、彼が初代の内閣総理大臣になったのは、ごく自然な動きではなかったかと考えています。

その後しばらくは、内閣更迭に際して前任の首相が後継の首相を天皇に奏請するという形式をとっていました。

しかしながら、この当時から今と同じで長老と呼ばれている人たちがいて、いわゆる有力政治家ですよね。(今みたいな70代や80代のじじいではなく、当時は40代50代ぐらいが長老と呼ばれていた。)

この人たちに十分に根回しをし、了解を取り付けておくことが重要であったようです。

始めは閣議の席上や彼ら相互の個別的会談で意見が交換されていたみたいですが、やがて、天皇の諮問に応じて長老政治家たちが一堂に会し、後継首相を決めて天皇に奏請するという手順がふまれるようになりました。

そして天皇はその人物に組閣を命じ、大命を受けた新首相が閣僚を選定して天皇に奏請し、親任式を経て正式に新内閣の設立となったわけですね。

これはいわゆる「元老会議」と呼ばれるもので、この形式を経て任命された最初の首相は、日本で初めて政党内閣の首班となった「大隈重信」だったんてすよ。

「早稲田大学」の創立者としても有名な方ですよね。

しかしながら、維新からすでに31年たっているんですね。

明治も終わりに近づいてた時でしたから、ずいぶんと時間がかかったみたいですが、ここがいわゆる今の政党や派閥の原点ともいえるでしょう。

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この当時は政党や派閥はあったのか?

さて、この頃の政党と言えば「立憲改進党」や「憲政党」がありましたが、大隈重信が立憲改進党の党首だったわけですが、勢力図は決してそれだけではなかったんですね。

何といっても明治維新の立役者「薩摩藩」と「長州藩」の力が大きかったみたいですよ。

ちなみに大隈重信は佐賀藩出身ですが、この頃の日本の政治勢力を調べているとどれほどのものかがよく伝わってきます。

簡単に説明すると、首相や閣僚を選ぶ際に、最も注意深く考慮されたのは、薩長間の調和とバランスだったそうです。

内閣制度発足後、7代の内閣を調べてみると、おもしろいことに長州出身者と薩摩出身者が交互になっているんですね。

これは必ずしも最初から計算されていたとはいいがたいですが、薩長の勢力均等が重視されていたといえることの現れでしょう。

閣僚人事でも、どちらか一方の比重が大きくなりすぎないこと、および、薩長出身者だけでポストを独占しないことが、注意深く守られているですよね。

実際に第一次伊藤内閣の例を挙げてみましょう。

薩長各4名、土佐1名、旧幕臣1名となっていますが、この辺りをよくみると、今の自民党の派閥均等人事とよく似てるよな、と思ってしまいます。

ところで、このような形で天皇に奏請された閣僚人事について、天皇が個人的に反対の意向を示したケースがなかったわけではないのです。

例えば第一次伊藤内閣における「森有礼」の文部大臣起用、第一次山県内閣改造(明治23年5月)の際の「陸奥宗光」の農商務大臣起用については、明治天皇が強い難色を示したといわれています。

森の場合は、キリスト教徒で西洋心酔者と目されていたため、天皇側近の宮中保守派から、文教政策の中核的ポストに森を登用することに強い反対があり、そのことが天皇の態度に影響を及ぼしたと聞いています。

天皇はこの時、三条実美を通じて伊藤博文に森に代えて「谷千城」の文部大臣起用を促しています。

また、陸奥の場合は、かって西南戦争の際、国家の要職にありながら、「立志社」の政府転覆計画に加担し、いわば反逆の前歴があるとみなされたのが理由ですね。

しかし、天皇制と言えども、担ぎ上げられた天皇制ですから、支えている人たちにかなうわけがありません。

伊藤や山県という力の持った人たちの説得によって、天皇はいずれの場合も、すべて人事を認めています。

その点でいえば、明治立憲制のもとにあっても、天皇が基本的に政治に大きく関与しないという、日本の伝統文化が継承されていたといっても過言ではないでしょう。

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内閣総理大臣の決め方、古今のわかりやすいお話!・・・まとめ!

菅官房長官は自民党の中では「無派閥」に属する人だったんですね。正直私は知りませんでした。

この方を色々と調べてみると、政治家の中では結構人気があり、外見では軟弱に見えそうですが、いがいに「意思が固い」・「ブレない」、それにここと思ったら人を切ってでも政策を貫く、とよく言われています。

逆に言えば各省庁の官僚たちにとっては扱いにくく、さらには負担をかけてくる「嫌な政治家」の部類に入るのかもしれませんね。

ただ、国民にとってはそういった政治家が当たり前であって、いちいち人の言うことに耳を傾けて二転三転していたら国家のトップとしては失格ですよね。

残り一年の任期の中で、安部路線を継承し、支えてきた力を表に出して、新型コロナ政策を始め、アベノミクスの経済再生を積極的に行っていたたきたいと願わずにはいられません。

ただ、自民党総裁、内閣総理大臣の争奪戦は、1年後が本当の闘いかもしれませんよ。だからこそ菅さん、というような気がしてなりません。

また、菅さん自身が解散総選挙を予測して立候補した可能性もあります。

任期満了前、もしかしたら今年の11月以降に衆議院議員解散総選挙が行われる可能性もあるでしょう。

また、ご機会があればお寄りいただければ幸いです。今日は最後までお読みいただきありがとうございました。

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