渡哲也さん、亡くなる、コロナ!?

生活記事

数々のドラマや映画で存在感を示した俳優、渡哲也さん(78)が10日に肺炎で死去していたことが14日、分かった。

というスーパーがいきなり入ってきました。

ウソだろ、さっきまでこんな報道されなかったのに、かなりショックですね。

NHKのニュースを見ていたら、いきなり速報ですよ。

志村けんさんが新型コロナウイルスで亡くなった時も驚き、岡江久美子さんが同じくコロナで亡くなるなど、ちょっと悲しさが続きますね。

渡哲也さんをテレビで見たのは今から約1年前になると思いますが、近頃では「石原プロモーション」の解散を、確か7月17日の発表てしたよね。

石原裕次郎さんの命日、来年の1月17日に「看板を下ろす」と聞いたときも、本当に残念でした。

この時渡哲也さんが語ったのは、「時代の流れで新しい人たちが出てくる。我々は一歩下がって生きていかないと」と話していたといいます。

確かに体調は悪く、呼吸器疾患などで自宅療養の話は流れていましたが、「まだまだ今からでしょ」と思っていただけにショックが大きすぎます。

なんといっても私の思いは『西部警察』ですよ。

今では刑事もののテレビドラマは数多く放映されて人気がありますが、あのド派手な、いまではありえない、今から思えばこれって戦争か、と思えるほど凄かったのを覚えていますよ。

爆発は当たり前、最後にはロケットランチャーまで飛び出すありさまで、いまでは絶対に作れない刑事ドラマの神髄ですよ。

なにをさておき、残念でなりません。

報道によると入院先の東京都内の病院で親族に看取られ、静かに息を引き取ったという。と記されています。

生前の最後の仕事は、今年6月、石原プロモーション創業者でもある俳優、石原裕次郎さんの生前の映像と共演した宝酒造CM「よろこびをお伝えして50年~幻の共演~」のナレーション録りを自宅で行ったのが最後の仕事だったといいます。

このCMを取り終えたとき渡哲也さんは7月27日に完成作を見た際には何度もうなずき、書面でこういったと記されています。

「最後のコマーシャルを裕次郎さんとの共演で終わらせていただきますのは感慨深いものがあります」

自分でわかっているかのようなコメント、死期を迎えて、「もう思い残すことはないよ、裕次郎さんまっててね、俺ももうすぐ行くからね、俺がそっちに行ったらまた派手にドンパチやろうよ」

私にはそういうふうに聞こえて目頭が熱くなりました。

これで兄弟(渡恒彦さん2017年死去)ともども亡くなったわけです。

恒彦さんはイメージ的には全く違うキャラクターでしたが、晩年は渋い役をやっていたし大好きな俳優でした。

さて、肺炎ということですが、新型コロナウィルスに感染したのが原因でなくられたのではと最初は思ってしまいました。

しかしながら、あくまでも肺炎ということなので、違うのでしょう。

志村けんさんもそうですが、芸能界にコロナが蔓延し始めています。多分これからも増えていくは確実ですよね。

芸能人は活動範囲も広いし、人との接触機会も多く、自覚症状がない限りは自分が感染しているとはわからないまま、忙しさの中で過ごしているのではと思います。

とにかく、いまはあまり言葉は出ませんが、安らかに眠ってください。子冥福をお祈りいたします。

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大スター「渡哲也」の軌跡

1941年に島根・安来市に生まれ、兵庫・淡路島で育った。基本的には淡路島出身となっています。

青学大在学中の64年、浅丘ルリ子(80)が主演した映画「執炎」の相手役に実弟、渡瀬恒彦さん(のちに俳優、2017年死去、享年72)がこっそり応募。

それがきっかけで日活にスカウトされ、65年に映画「あばれ騎士道」の主演で俳優としての一歩を踏み出した。

裕次郎さんとはデビュー前、日活の食堂で初対面した際に励ましの言葉をもらい感激。

給料の交渉までしてくれたことを知って、さらに心酔し、背中を追い続けたということです。

これは有名な話ですよね。

そのことがあったためか、日活がロマンポルノ路線へ転換した71年には、裕次郎さんが設立した石原プロへ迷うことなく入社。

同プロ制作の日本テレビ系「大都会」シリーズ、テレビ朝日系「西部警察」では角刈りサングラスの大門圭介部長刑事を演じ、巨悪との銃撃戦やカーチェイス、爆破シーンの数々は国民をくぎ付けにしましたよね。

歌手としても、1973年に「くちなしの花」が150万枚の大ヒットを記録しました。私もレコード持っていましたよ。

一方で病に悩まされ続けた。74年に胸膜炎を患い、主演を射止めたNHK大河ドラマ「勝海舟」を途中降板。

91年には直腸がん手術でオストメイト(人工肛門使用者)になったことを告白しましたよね。

この時もかなりに驚きましたが、その後元気な姿でテレビに出ていたので「本当にすごい人」とおもいましたね。

晩年は病との戦いだったみたいで、その中でも裕次郎さんとの約束を忘れずに生き続けてきたのだろうと感じています。

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渡哲也さんのまとめ

裕次郎さんを兄貴分とし、絶大な信頼を寄せ、決してひるむことなく一緒に歩き続けてきたということですよ。

そういえば、裕次郎さんが亡くなった時、こんなことを言っていました。

「私は裕次郎さんの意思を全面的に受け継ぎます。それが私のこれからの仕事です」。

裕次郎さんは亡くなる前に、哲也さんにこんなことを言ったといいます。

「石原プロを畳んでくれ」。

この意思を継いだ哲也さんは、自分が亡くなる前に石原プロモーションの看板を下ろすことを決断したのでしょう。

だからこそ、自分の死期がわかっていたのではと思われてなりません。

自分にとって最後に何ができるか、病と闘いながら常に意識していたのでしょう。

またひとりすばらしい大スターがこの世を旅立ちました。

最後に一言、「裕次郎さんと心行くまで酒を飲んでください。本当にお疲れさまでした。

今日は最後までお読みいただき感謝しています。

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