神様、仏様、〇〇様、とよく言いますよね。
今ではこういう姿もほとんど見られなくなってきましたが、私が幼いころ、じいちゃん、ばあちゃんもよく言っていたし
何か嫌なことがあった時に「なんまんだぶ(南無阿弥陀仏)、なんまんだぶ」と念仏を当たり前に唱えるというお年寄りが多くいました。
その当時は分かりませんでしたが、後になりいろいろと調べていたら、分かったことがあります。
南無阿弥陀仏とは、正式には「阿弥陀さまに帰依(心から信仰すること)します」という意味ですが、「阿弥陀さま、お願いします」と祈る言葉でもあります。
昔の人は、ちょっとしたアクシデントが起きた時、「ひどい目にあったけど、無事でよかった。仏さま、ありがとう」
と、とっさに仏さまに祈ったわけです。
ホントに素晴らしい考え方ですし、見習わければいけないと感じてしまいます。
元来、仏教においてその字の通り、仏様に教えを乞う、となりますよね。
仏様が神様であり、神様が仏様であるという考え方にもとずくものだと思います。
神様というと仏教よりも、古来の日本から受け継がれている神道を意味する場合もあります。
実際に神様とひとえに言ってもどれを指すのか、という風になってしまうので、また、宗教を飛び越えての膨大な数になるので記述するだけでも大変です。
なので、今回は仏様について考えていきたいと思います。
では、実際に仏様というものはどういうものなのか、文学的見地から紹介していきますね。
今日も最後までお付き合いいただけるか心配ではありますが張り切ってまいりましょう!
仏様ってどれくらい存在するの?
以前『お地蔵さん』についてお話ししましたが、いろいろ調べているうちに
「神様や仏様って一体どれくらい居るのかな?」
という疑問がわいてきたので、さらに調べてみました。
すると、なんともはやな状況に陥りました。
まぁ、聞いてくださいよ。
まず、仏様は「恒河沙(ごうがしゃ)数諸仏」とも言われ、ガンジス河(ヒマラヤ山脈の南側、インド亜大陸の北東部を流れる大河で、全長は約2525km、流域面積は約173万㎢)の砂の数ほどたくさんいらっしゃいます。
と、ここで“恒河沙(ごうがしゃ)”とは数の単位です。どれ位かというと…
一(いち)・十(じゅう)・百(ひゃく)千(せん)・万(まん)・億(おく)・兆(ちょう)とここまでは日常でも見聞きすることはあるでしょう。さらに続きます。
京(けい)・垓(がい)・秭(じょ)・穣(じょう)・溝(こう)・澗(かん)・正(せい)・載(さい)・極(ごく)・恒河沙(ごうがしゃ)…やっとでてきました。
とまぁ、とんでもなく大きな数です。(1の後ろに0が52コも付きます)
現在、世界の人口は推計(正確な数字を出すのは不可能)で74億9000万人以上とされています。
何と仏様は世界の人口の1000京倍の1000京倍のさらに10万倍というものすごい人数(人数と言ってよいものかは分かりませんが…)いらっしゃるのです。
なんだか、気が遠くなりそうですね。
そんなとんでもなく多くの仏様が、よってたかって私たちを見守ってくれていると考えると、「何も心配することはない」と思えてきませんか?
その反面、それほど多くの仏様に見られているのだから、隠れて悪いことをしようなんて到底無理ですね。
もうバレバレです。やめた方がいいですよね^^
仏様、ザックリ紹介!

正確に数えることは無謀なことだと思い知ったので、せめて“仏様”の種類だけでもなんとかと考え調べてみたら、これもまたとんでもないことになってしまいました。
なので、ザックリと分類すると以下のようになります。
●如来(にょらい)
梵語で「真実から来た者」という意味で和訳が”如来”。仏の中で、最高の境地に至った存在、最高位にあります
●菩薩(ぼさつ)
梵語で「悟りを求める者」いう意味。(次期如来候補)
●明王(みょうおう)
バラモン・ヒンドゥー教の神々で、如来、菩薩に次ぐ仏格。(如来の使者)如来の命を受けて怒りの形相になって現れた仏。
●天部(てんぶ)
天空や天上界に住む者を意味する言葉。如来、菩薩、明王は、人々・生き物の救済を目的としますが、天部の諸天は、仏法を守護する役目を持っています。
●その他
上記の四種類に属さないものです。
もう少し補足させていただきますね。
如来とは
「真理を悟った者」の意味で、仏教が成立した当初は仏教の開祖である釈迦のみを指しました。
私は知らなかったのですが、釈迦は本名ではなく、本名をゴータマ・シッダルタといいます。
インドの貴族「釈迦族」の王子様として生まれました。
釈迦族出身の如来のため「釈迦如来」と呼ばれるようになったのです。
もとは、貴族の王子様だったわけです。
分かりやすく学校でたとえると、校長先生みたいな存在ですかね。
釈迦の入滅後、釈迦の説法を聞いた人々が集まって教えをまとめました。それが経典です。
経典では、仏教が多様化するに従い、阿弥陀如来や薬師如来また密教の最高仏・大日如来などが登場しました。
そしてやがて如来が釈迦以外の如来の総称となったのです。
菩薩とは
もともとは釈迦如来の修行時代を指していた言葉だったそうですが、現代では悟りを求めて修行する僧などを指しています。
人間も悟りを求めて修行を積めば如来になれるというのが前提で、如来になる前の人たちを指しています。
これまた学校でたとえると、校長以外の先生方、教育実習の先生のたまご、先生になろうと勉強している学生さんにあたりますかね。
菩薩というと優しい表情から女性のイメージを持つ人も多く、また実際に胸の膨らみがある菩薩像も見かけることができますが、基本的には修行時代の釈迦如来をモデルに作られており女性体ではありません。
明王とは
密教における最高仏・大日如来の命を受けて仏教の教えに従わない者たちを忿怒の形相で教化する仏です。大日如来そのものが変化した仏とも伝えられています。
先生もやさしい方ばかりではありませんよね。厳しくて怖い先生もおられます。
明王は、まさに怖いスパルタな先生とでも言っておきましょう。
天部とは
修行者を外敵から守る神格です。天は、天世界、天界、天上などともいわれます、。
仏教思想の天上界に住む神(尊格)を天といい、それらの神々を古代インドの世界から取り入れ人間界の守護神としました。中国でも中国の尊格を取り入れたため、その姿は千差万別といってもよいでしょう。
天部は毘沙門天のような神将形と弁財天のような天女形の二つに大まかに分けられています。
学校でたとえるのは少し難しいのですが、警備の方、警察のお巡りさん、ボディーガード、SPなんかになりますかね。
【神様・仏様】とは、どれくらい存在するのかな?のまとめ
閻魔様や~権現さまなど多種多様にあります。
以上、私が分からないなりに調べたものです。
正直、無謀でしたね。
まともに調べていると毎日10時間やっても1年ぐらいはかかります。
とにかく、”仏様”を調べただけでこの有様です。
もう私の頭はオーバーヒートですよ。
しかも、このほかにも、日本の神様、諸外国の神様、伝説や、言い伝え、神話などなど”神様”と呼ばれるものは数多くあります。
日本史に登場するまたは『古事記』、『日本書紀』に書かれていることについては得意分野ですので、曲がりなりにもお伝えできますが、やはり漠然とした考えだけで書くものではないと痛感しています。
結果として分かったことは、
「”神様・仏様”はとにかくたくさんいらっしゃるのでその数なんかを数えるより日常を確実に正しく過ごすことに専念した方がいい」
ということでした。^^
また、今回の内容は専門に研究・勉強している方からすると間違いもあるやもしれません。
しかしながら“無知な”私が分からないなりに調べたものである”ということでご容赦いただきますようお願いいたします。
また、ご機会があればお寄りいただければ幸いです。今日は最後までお付き合いいただきありがとうございました。
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