【下部温泉】武田信玄の隠し湯

温泉開湯ストーリー

山梨県甲府市に、仕事の関係で何度か訪れたことがあります。

その時によく地元の方に連れて行ってもらった温泉が「下部温泉」でした。

九州からだと距離的にもかなり遠いので、人生の中でそう何度も行くことはできないのですが、縁あって3度ほど訪ねることができました。

何度訪ねても「いい温泉だな」と思えるところで、情緒があり現代においても「下駄をはいて散歩する」、が似合う温泉町だと感じています。

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下部温泉と武田信玄の関係

毛無山の五老峰山、川向山などに挟まれた富士川の支流である下部川の中域に発達した「下部温泉」は、古くから外傷、胃腸病、リュウマチなどに効果の高い甲州の療湯の名湯して知られています。

昭和31年6月には「国民保養温泉地」の指定も受けている温泉郷ですね

歴史は古く、言い伝えによれば第12代景光天皇の御代、甲斐国造塩海足尼が、国内巡視のみぎりに発見、「塩海の湯」と命名されたものが、長い年月の間に「下部」と書かれるなったと聞いています。

中世後期になって、「武田信玄」が甲州を支配した頃、下部の湯の存在を重視し、戦場で傷ついた将兵を密かに入浴させて、戦傷の手当てに大いに利用したと言い伝えられていて、これが「信玄の隠し湯」の由来となったわけです。

下部の湯の効果は、実際にかなり高いものがあると聞きました。

現実に私も湯に浸かってその効能を実感しています。

大きな手術の後などに数日間の湯治生活を送ると、傷口の肉の盛り上がりもよく、柔らかくなって、後々痛むこともなく、大変調子がいいというし、過去に、道志の山里で、鉄砲自慢の老人から、あやまって鉄砲玉を足に受けてたが、なかなか思うように取りだせなくて苦しんだが、下部の湯に湯治したら、それが浮き出してきた、という話を聞いたことがあります。

また、内出血して固まってしまった悪血が、湯治生活の結果、皮膚の表面に浮き出してきて、全身がすっかり軽くなった、などの事例は数多く残っています。

筋肉に不純物や固形物が入っていると、それを皮膚の表面へと浮き出させてくる効能を持っていたり、胃潰瘍で苦しんでいた人が、下部の湯に通ううちにすっかり良くなったなどの話は数えきれないほどあるみたいです。

本当に不思議な力を持った温泉ですよ。

どこの温泉に入っても気持ちよくなるのは当たり前なのですが、私もね、何度か利用しているうちに体が軽くなる、という実感が感じられました。

本当に温泉の力はすごいものがありますよね。

だからこそ昔から温泉は「蘇生の力」といわれてきたわけですよ。

さて、武田信玄は、こうした温泉の持つ能力に早くから目をつけていて、戦いに傷ついた将兵たちを療養させていますね。

甲州の各地には「信玄の隠し湯」が伝えられていますが、「下部温泉」はその代表的な存在となっています。

身延線の下部温泉駅は、「信玄の隠し湯」を謳うに「下部温泉」の玄関口にふさわしく、下部川が富士川に合流する付近の山間がいくぶん開けたところがあります。

下部温泉へ向かう一本道は、駅前商店街を抜けると、右手に下部川の岩がゴロゴロする河原を見ながら緩やかな坂道を登っていきます。

山肌が迫り、風が紅葉の斜面を掃いて下るところ、下部病院が白い建物を左手に見て、道の右手下には、共同浴場になっている二階建ての「町立温泉会館」がありますね

ここの温泉は川に面した浴場の窓が大きく、湯舟の中から対岸の山肌や下部川の清流が望めて、とても景色がいいですよ。

下部温泉の昔からの温泉街はこの少し奥で、下部川に面して続く一筋の道の両側に旅館、商店がびっしり並んで温泉街を形成しています。

温泉街の中ごろに架かっている神泉橋の付近には、木造3階建ての「大市館裕貴屋」、「信玄の隠し湯」として「洞窟風呂」があるところでも有名で、建屋は「登録有形文化財」に指定されています。

この辺は下部温泉を語るとき、必ず出てくる撮影スポットですが、建物の風格といい、なんか温泉街にふさわしい情緒ある風情を醸し出していますよ。

さらに道を挟んだ横には、この下部温泉で最大の源泉数5本と湧出量を誇る「湯元ホテル」があり、昔ながらの湯治宿の風格が残る宿があります。

下駄の音を響かせて橋を渡っていく湯治客や、土産屋を覗きながらのんびりと散歩を楽しむ人たち、また共同浴場に向かう人など、昔の湯治場の雰囲気が今でも味わうことができる温泉郷ですよ。

神泉橋を渡ってすぐ右手に建つのが「古湯坊源泉館別館神泉」。この建物の地下にあるのが、「隠し湯」の歴史を伝える岩風呂ですね

源泉館の専用風呂ですが、昼間は1000円の入浴料で日帰り入浴もできます。

中は、男女別々の脱衣場がありますが、浴場は混浴です。

岩盤をくり抜いたような岩風呂で、石の階段を下りていくと湯舟ですね。

壁には自然の大岩が積み上げられ、湯舟の底に松の板が敷かれています。

源泉は、松板の下の岩盤から湧いていて、30℃前後の低温温泉ですが、加熱しない方が治療効果が高いので、そのまま使用しているとのことでした。

温度の高い浴湯も用意してるので安心です。

入った初めは冷っとしますが、慣れてくるとほのかなぬくもりがあって、長湯をするのにはまさに手ごろな温泉ですね。

信玄公」が「川中島の合戦」で、「上杉謙信」との一騎打ちによって負った刀傷を癒したのも、この岩風呂だとされています。

「まあ、他国の者には秘密にして、傷ついた兵士たちをこの湯で治しては、また戦場へ送り出していたのでしょう。」そういう話を宿のご主人が話していました。

川中島の合戦」があったのは永禄6年(1561)。

この折の武田方の負傷兵は約13000人と伝えられています。

この将兵たちが、甲州の各地の温泉に傷を癒しに通ったものとされています。

医薬の乏しかった当時においては、温泉の効能は貴重であった事と推測されますね。

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湯守の免状

川中島の合戦が行われた頃、下部温泉の湯守を務めていたのは、武田の馬奉行だった「佐野新左エ門正隆」でした。正隆は上田原の合戦で傷を負い、下部温泉に送られて治療しましたが、そのまま下部の湯の管理を命ぜられました。

佐野新左エ門正隆は、武田氏の強力な力を背景にして、下部を含む東河内一帯に勢力を張っていた「穴山氏」に従う号足の一人で、下部川の奥の湯の奥代官並びに関守を勤めていた「佐野縫殿右衛門」の一族です。

源泉本館には、信玄(晴信)の花押しの見られる湯守の免状や感状が秘蔵されています。

フロントの壁には、その原寸大写真が飾ってありますね。

ロビーには武田軍の武将の絵がずらりと飾られ、いかにも武田の里にきた雰囲気をつくりだしています。

客室は「武田勝頼」、「山本勘助」など、武将の名が付けられた純和風の造りです。

特質したものはありませんが、きれいに清掃されていて、なかなか居心地がいい部屋ですね。

昭和10年頃の建築と聞きました。

柱などはよく磨きこまれていて、いかにも歴史の里にふさわしい宿だと感じましたね。

源泉館に隣接する大市館の地下の岩風呂もみごとですね。

岩をくり抜いたような浴場に、四角に松板で囲った浴槽がすっぽりはめ込まれていました。

ここにも武田信玄時代の将兵たちが湯治した岩風呂の伝説が残されています。

源泉館の浴場と大市館の浴場は、上を道路が通っていますが、浴場の壁は接しています。

神泉の浴場は、古くは現在の4倍もの広さであったと聞いてますから、昔は二つの岩風呂はひとつであったのかもしれません。

さて、『下部町誌』には、「源泉館と大市館の源泉はいずれも砂岩泥岩層からの自然湧出で、本来は同一源泉とみなしうる」、と書かれています。

源泉館と大市館の狭い道を登った高台には、下部温泉を一望にして、熊野神社が鎮座しています。

下部の湯神社として信仰され、下部の湯で湯治して全快した療養者たちは、不要になったギブスや松葉杖などを奉納し、御礼参りして帰ります。

熊野神社については、社記に、

承和三丙辰年熊野神社此所ニ出現シ給ヒ温泉湧出ス、故ニ温泉宮ト別号シ奉ル、修理太夫造営ス、天正二甲戌年穴山信君亦建立シテ神領一貫三百文寄附シ金勝ヲ揚グ、天成壬午ノ乱後神祖此温泉ニ御入浴アリテ制礼等下シ揚ハル、神主依田近江」

と記しています

天正2年(1574)は、「武田勝頼」が遠江に入り、三河攻略にとりかかろうとした年で、「穴山信君」は熊野権現に武運長久を祈願して出陣しています。

信玄の隠し湯」として、甲州にその他知られているところでは、山梨市の「川浦温泉」があります。

「武田二十四将」のひとりである「山県三郎兵衛昌景」が湯屋の管理を預かり、その子孫が代々「川浦温泉」の経営にあたってきて、現在の「山県館」はその末裔といわれています。

永禄4年(1561)5月10日付の「信玄の下知状」が宿に伝えられており、それには「川浦に湯屋を造るので、恵林寺から信者たちにも金品を寄附するよう下知してもらいたい」といった趣旨のが記されています。

また、甲府郊外の「湯村温泉」は、古く「しまの湯」・「志摩の湯」などと呼ばれ、『甲陽軍艦』によれば、天文17年(1548)2月の「上田原合戦」のおりと、その半年後の「塩尻峠の合戦」において、負傷した武田信玄が、「しまの湯」で湯治したと記されています。

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下部温泉、信玄の隠し湯のまとめ

その他、聞くだけでも「隠し湯」とされているところはいっぱいありますね。

例えば甲府市の要害山麓にある「積翆寺温泉」、日川の奥の「嵯峨塩鉱泉」、山梨市の「岩下温泉」、金峰山麓にある「増富温泉」、奈良田の「西山温泉」、信州方面では「小谷温泉」、「白骨温泉」、また、乗鞍岳麓の「平湯温泉」などに、「信玄の隠し湯」の伝説が残されています。

ただ、確固たる証拠はなく、どちらかというと後の付帯伝説の域を出ないみたいですね。

しかし、武田家の温泉に対するこだわりと信仰の厚さをかいま見ることができます。

やはりその代表格はこの「下部温泉」となるでしょう。

またご機会があればよろしくお願いします。今日は最後までお読みいただきありがとうございました。

※旅好きブログです。私が旅をした記事や観光関連の記事を載せています。見てくださいね!

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