【はるかなる空】人生の証3

【はるかなる空】人生の証3

こんにちは、ワカマツです。ワカマツです。

この「はるかなる空」は、私の人生の生きざまを素直に表現しています。空想的なことや架空の出来事を記しているわけではありません。

自分で過去の記憶をたどりながら、友人、知人に当時のことを聞きながら記しています。また、わからない場合はその場所まで出向いて過去の記憶やその検証をおこなったうえで記述をするようにしています。

正直、小説ではないと思います。物語的な書き方はしていますが、自分の生きてきた証を少しでも多く何かに書きとめておきたい、そして、序章に記しているように、私の人生最大の友人であった人からの、最後の頼み、これだけは絶対に守りたい、その気持ちが私を動かしています。

はるかなる空」のタイトルですが、私が40年以上も前の中学生のころ、よく通っていた北九州市若松区に位置する「高塔山」から見た景色に感動して出た言葉が発祥になっています。

ひとつひとつを呼び起こして記憶をたどる作業はとてつもない時間が掛かります。少しずつですが、この物語を進めていくつもりでいます。

また、興味のある方、読んでくださる方には、本当に感謝しています。

はるかなる空

 

 

第一章『旅立ち』2

時は2年ほど過ぎ、健一は中学2年の春を迎えていた。

小学校から一緒だった悪友たちも、歳を追うごとに活動が活発になり、健一もその中へ引き込まれていき、気がつくと校内でも指折りの悪ガキへと成長してい行く。

授業にはほとんど出席せずに、時間が来るまでプール棟の下に隠れて学校を抜け出し、近くの食堂に早弁をしに行く日々が続いていた。

教室が偶然にも職員トイレの真向かいの2階に位置していたため、先生が小便をたしている姿を見つけると防火用バケツで窓越しに水を掛けたり、さらには、屋根裏越しに伝わって職員室の天井に穴を開けたりと、気がつくといつも校長室前の廊下で、バケツを持たされて立たされていた。

事があることに母親が学校へ呼び出され、父親からも毎日のように怒られ、そして叩かれていた。

健一の父親は鹿児島県出身の筋金入りの薩摩隼人で、「西郷隆盛」を崇拝しており、筋が通らぬことが大嫌いな性格で、健一にはいつも「人のために生きろ」と言い聞かせていた。

父親は幼いころから運動能力に優れ、兄弟の中でも群を抜き、村でも一番の力持ちだったと聞く。実家は鹿児島県志布志市から、車で約40分ほど走り、山に囲まれた四浦村と呼ばれている小さな村落が点在する場所で、里山の風景が広がる閑静な場所であった。

実家は少しの田畑を所有して、家族が食べていけるだけの農業を行い、牛・豚・鶏を家畜として生計を立てていた。毎日学校から帰ると、農業や家畜の世話をして育ち、中学では柔道部の主将もこなして、片道約40分かかる中学校の登下校も、毎日走っていたという。

本当に身も心もパワーがある父親であった。

母親は長崎県上五島の出身で、隠れキリシタンの流れを酌んだ家柄であった。また、生まれながらにしてカトリック教徒であり、家計は漁業が中心で、裏山に少しばかりの畑を所有し、上五島では代々から続く「白浜家」の姓を名乗っている由緒ある家系であった。

中学生のころ島内では、天才児と称され、当時では珍しくピアノも弾いていたという。教会ではいつもオルガンを弾き、賛美歌を歌っていたらしく、村の中では美人としても知られていた。

その二人が福岡県田川市で出会い、そして恋に落ちて結婚した。父親は中学校を卒業し高校には進学せずに、この当時、日本の成長を支えていた石炭産業に魅力感じ、炭鉱夫としての道を選び、福岡県田川市へと移り住んだ。

母親も、5歳年上の兄が炭鉱夫として田川市で働いていたため、島の暮らしよりも外の世界へのあこがれを夢見て、親兄妹の反対を押し切って兄を頼って田川市へと移り住んだ。

父親は浄土真宗、母親はカトリックとまったく違った宗教理念の下で、当時では簡単に結婚できなかったという。最終的に父親が洗礼を受け、カトリック教徒になることで二人は結ばれ、そして健一が生まれたのである。

両親にとっては二人目の子どもであり、健一が1歳の時にひとつ年上の兄弟を病気で亡くしている。そのことについて両親は健一に対してあまり語ろうとはせず、また、健一もその兄弟の存在すら記憶がないため、聞こうとはしなかった。

この頃になると健一は、心も体も少しずつ成長し、小学校のころは列の一番前に並ぶことが多かったが、他の人よりも少しだけ背が伸びるのが早かったのか、中学2年時では列の10番目ぐらいに並んでいた。

また、悪ガキで有名になっていくにつれて、注目度も上がり、周りの生徒からはうっとおしい存在でもあり、先生もさじを投げるぐらいの悪戯ぶりで、学校の成績も下から数えた方が早いぐらい悪がった。

小学校2年の時から、父親の命令で、家から歩いて10分ほどのところに歯科医師が経営する柔道場に通っていた。中学2年では黒帯も所有し、道場に通う先輩の誘いもあり、中学校の柔道部に所属して、毎日クラブ活動に、そしていたずらに明け暮れる日々が続いていた。

顧問の先生は体育教師を兼ねていて、いつも竹刀をもって歩き、顔つきも怖く言葉使いも激しく、健一が唯一敵わない相手でもあった。

毎度のことながら、健一の悪あがきが発覚すると、竹刀で体中を叩かれ、腕立て伏せ100回、うさぎ跳び100mの罰を受けていた。

ただ、そのせいかわからないが、心も体も鍛えられていくのが、少しずつだが、健一は感じ取っていた。

小学校までは女の子にはまったく縁がなかった健一だったが、この頃になると少し気になる人が現れていた。家が近くだったこともあり、登下校の道のりもほぼ同じであった。

梅雨のある雨の日、傘をもっていなかった健一は、半分やけくそな気分で一人下校していた。その時、後ろから彼女が近づいてきて、

「けんちゃん、びしょ濡れだよ、私の傘にはいったら」

と声をかけてきた。

その女の子の名前は、「古賀美智子」、学校の成績もトップクラスで、父親は小児内科の開業医を営んでおり、家庭はとても裕福であった。

この頃の健一の家は本当に貧乏で、炭鉱が時代の流れの中で閉山し、健一の父親もそのあおりを受けて、田川市から北九州市若松区に移り住み、安い給料で洞海湾沿いにある小さな造船会社の工員として働き、家計を成していた。

そういう二人がつり合うわけもなく、恋なのか、この頃の健一はよくわからずにいた。

「いいよ、もうびしょ濡れだから」

「ダメ! 風邪ひくから入んなさい」

と、半ば命令するような口調で言い、健一はその言葉の強さに傘に入ってしまった。

彼女の性格はとても気さくで、クラスの中でも明るく振る舞い、行動力もあり活発な人で、可愛さも相まって、クラスのみんなは親しみを込めて彼女のことを「コン」と呼んでいた。

教室でも健一によく話しかけていて、席も隣にいたため、いつもたわいもない話する日々を過ごしていた。

「もうすぐ大会始まるんでしょ、・・・今度応援にいくから」

と、コンが少し微笑ながら言った。

「えっ、いいよ、俺どうせすぐに負けるから・・・」

「バ~カ! 何弱気なこといっとるんね、けんちゃんらしくもないよ」

健一はその言葉に思わず苦笑いをしてしまった。

コンとは小学校からクラスが一緒だったこともあり、コンは健一のことを「けんちゃん」と呼んでいた。コンがこういう呼び方を相手に対して使っていたのは健一だけで、他の人には名字の君づけであった。

不思議だった、コンから言われると反論できない自分がいる。そんなある日、事件が起きた。

体育の授業中、体育館の中で跳び箱を行っていた時のことである。コンが先に飛んで次が健一の番だった。

コンは勢いよく飛んでいった。健一は後ろの友だちと会話をしていたため、コンが跳び箱の向こう側で足を挫いて倒れていることに気づかずに、走り出し飛んでしまった。

その時、突然コンの姿が健一の目に飛び込んできた。

「わぁ、ぶつかる」

と同時に身体をひねり、着地するマットから外れ、健一は体育館の板張りに叩きつけられるように、肩から落ちて行った。

左肩の激しい痛みに気づき、立つこともできない健一を見て、すぐに先生とコンが走り寄って来た。

健一は先生の肩を借りてすぐに保健室に運ばれたが、症状がひどく、そのまま先生の車で病院へと搬送された。

幸い、骨には異常はなく、全治一週間の左肩脱臼と診断され、学校へと戻った。

左肩から腕にかけて大げさに巻かれた包帯を見て、コンがすぐに寄って来た。

「けんちゃんゴメン、私のせいで・・・」

と、コンが言いかけたので、

バカ、俺がコンの姿をよく見ていなかったからこうなったんだよ」

と、言い返した。

「でも、けんちゃん、試合・・・」

と、言い落ち込んだ顔をした。コンは今週末行われる柔道の試合のことを思い、ひどく落ち込んでいた。

「何とかなるよ、これぐらい、大げさに包帯まいてるだけやけん」

と、言いながら健一は少し笑いながら席に着いた。

健一は試合に出れない身体になっているとわかっていた。肩から腕にかけては、激しい痛みがはしっており、身体をひねった時に腰の痛みも起こっていた。

ただ、どうしてもコンにこの怪我の責任を背負わせたくなかったため、健一は必死で痛みを隠していた。

その日の夕方、柔道部の部室に行き、顧問の先生から出場メンバーから外すことを告げられた。わかってはいるものの、茫然と肩を落とし、落ち込んだ。

この試合のために練習もやってきたつもりだったし、なによりも、コンが初めて試合を見に来るといってくれていたので、期待に応えられない悲しい気持ちでいっぱいになっていた。

しかし、全治一週間の怪我で、試合に出場できるわけもなく、部室の片隅で椅子に座り、ひどく落ち込んでいた。

次の日、健一はコンに試合を出場できないことを、朝から話を濁して伝えられずにいた。肩の痛みも昨日と変わらずに感じており、昨日の夜はその痛みでほとんど寝られない時間を過ごした。

そして、授業が終わると同時に、コンを避けるように学校出た。家までもう少しというところで、コンが息を切らせて追うようにやって来た。

「けんちゃん、本当に試合にでれそう?」

健一は返事に困り、しばらくの間何も言わずに歩いた。しかし、言わないと、と思い

「やっぱり無理みたい・・・いいよ、俺どうせすぐ負けるからね」

と、健一はコンの顔を見ることもできずに、ただ、前を向いて歩きながら答えた。その言葉を聞いたコンも、何も言わずに横について歩いている。

しばらくして、コンの落ち込んでいる顔を見て健一が言った。

「コン、まだ気にしてるんか」

「・・・うん、だってあの時、私があそこにいなかったら・・・」

と言いコンは半分泣き出しそうな顔をしだした。

「だから、俺が見ていなかったからこうなったんだ、コンのせいじゃない。それに試合は今回だけじゃないけん、秋には新人戦もあるけん」

と、言いコンを宥めた。

不思議だった。なぜかコンがそばにいて話をしていると、乱れかけていた気持ちが落ち着く。

健一は思いつき、冗談半分で言った。

「コン、そんなに責任感じてんのなら、俺にラーメンおごれ! 」

すると、突然立ち止まり、笑顔で健一に答えた。

「うん、いいよ、今度一緒にラーメン食べに行こう」

健一は意外な言葉に驚いた。さらにコンは健一の前に体を移し、

「いつがいい? 、あっそうだ! 、けんちゃん試合に出れないけど会場にはいくやろ、私も行くから試合が終わったら食べに行こう」

と、段取りよく決めてしまい、健一もその速さに、

「うん、」

と、答えてしまった。

こうして、いままでお互い煮え切れない気持ちの中で接していた二人が、この日を境に少しずつ近づいてゆく。

さて、コンと別れて健一は家に帰り考えていた。「あいつラーメン食べたことあるんやろか、もし初めてやったら食べきるんやろか? 」

健一はコンの家が裕福なゆえに、ラーメンなんか口にしたこともないのではないかと、妙な考えに耽り、その夜は身体の痛みも相変わらずあり、まともな睡眠がとれなかった。

次の日も、そして次の日もそのことが頭から離れずにいたが、コンにそのことを聞くことができずに、ついにその日を迎えた。

試合当日、やはりそんなに強くなかった柔道部、2回戦で敗退し、意外に早くコンとのデートが実現した。

そして、試合会場を後にし、予定どうりにラーメン屋へと足を運び、気になってはいるものの、悪友たちと何度か通ったラーメン屋の軒をくぐった。

一杯170円のラーメンを二人とも頼み、頭から離れない思いを気にしながら、横目でコンの食べている姿を見ながら、健一もラーメンを口に運んだ。

この時、健一は一抹の不安が脳裏をよぎっていた。「もしコンがラーメンを食べきれずに残したら、何とかしてコンの分までたべないと・・・」

突然コンが言った。

「おいしぃ~! 」

そういって健一の顔を見てほほ笑んだ。健一のたわいもない不安はどこかへ飛んでいき、コンに答えた。

「ここのラーメンおいしいやろ、俺大好きなんや」

そういいながらまた、ラーメンを口に運んだ。

少しして、こともあろうに健一より早くコンが完食してしまった。健一は「ヤバイ」と思い、飲みかけていたスープの手を止めて、急いで右ポケットに入っていたお金を握り、カウンター越しに「はい、二人分」と言い、お金を差し出した。

健一の思い通りに事が運ぶように見えたが、すぐにコンが言葉を発した。

「何しようと、今日は私がおごるって・・・」

健一がお金を払う姿を見て、怒るようにコンが言った。

健一はコンの言葉を無視して、そそくさと店の外へ出た。コンもすぐに追ってきて、

「もう、これやったら意味がないやん」

と、さらに目を吊り上げて起こっている。

健一はこうでもしないとコンが必ずお金を払うと思い、気がきではなかった。

「最初からお前に金なんか払わすつもりはなかったし、それに俺・・・」

健一は言葉に詰まった。

「なによ! 」

と、コンがまた睨みつけて言う。

健一は少し恥ずかしかったのか、小さな声で言った。

「コンと・・・デートしてみたかったからな」

と、言った。コンはその言葉を聞いて、

「なん、バカのこと言ってるんね」

と顔を真っ赤にして言った。すかさず健一も、

「嫌なら、帰れよ」

「もう、嫌じゃないけど・・・バカ」

と、さらに顔を赤らめて言った。

考えてみるとこれがコンに対する「好きだ」という言葉だったのかもしれない。コンはそれを感じとったのかはわからないが、健一にとっては、一世一代の言葉だったことは間違いない。

それから二人はどこへ行くこともなく、若松の銀天街の中を見て歩き、丸柏デパート前からバスに乗り帰って行った。

二人にとってはそれだけでも十分に楽しかったし、健一の人生の中で、これが初恋で初デートであった。

 

※続きは不定期で載せていきます。

今日は最後までお読みいただきありがとうございました。(SORA2018ワカマツ)

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