【那須温泉】温泉神社にまつわる「殺生石」

【那須温泉】温泉神社にまつわる「殺生石」

こんにちは、ワカマツです。

日本開湯伝説」でも少し記している「九尾の白狐伝説」、「那須温泉郷」の中に位置する有名な「殺生石」の話ですが、日本に数ある温泉伝説の中でも最も有名で、いろいな伝説的人物、また、実在する人物とのかかわりを示した歴史的にも大きな価値がある話です。

那須温泉を訪ねて、実際に行かれた方も多いと思いますが、今回は「那須高原」の観光を含めて「殺生石」と「那須温泉」とのかかわり、またこの地に鎮座する日本でも由緒ある「温泉神社」について記していきます。

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🔶九尾の白狐伝説と那須温泉

■殺生石

温泉神社を下ったところに、黒くくすんだ大きな岩がうずくまっています。棚内に句碑が立っており、それにはこうつづられています。「飛ぶものは雲ばかりなり石の上」、と刻まれた文字は越中の俳人「麻父」の句碑です。

明治20年(1887)頃、宝丹(口中薬)の主人「森田某」が建立したものと聞いています。ある時期、この句碑の言葉は芭蕉の句と考えられ、昭和の初めの温泉案内にも「俳聖芭蕉の{飛ぶものは雲ばかりなり石の上}の名吟など、それからそれへと思い出され、昔より幾多の詩人の腸を絞らしめたことであろう」などと書かれています。

しかし、これはやはり「麻父」の句に間違いないでしょう。芭蕉の「いしの香やなつ草あかく露あつし」という句碑は殺生石の左前方に立っています。もう一つの「湯をむすぶ誓もおなじ石清水」は、温泉神社前の石段わきにあります。

芭蕉は「殺生石」を見に那須を訪れている。黒羽のくだりに「日をふるままに、ひとひ郊外に逍遥して、犬追物の跡を一見し、那須の篠原をわけて、玉藻の前の古墳をとふ」とあるから、「殺生石」の伝説をある程度心得た上、訪れたものと思われますね。

ともあれ、『奥の細道』本文に、「殺生石は温泉の出づる山蔭にあり。石の毒気いまだ滅びず、蜂、蟻のたぐひ、真砂の色の見えぬほど重なり死す」とあります。

これを現代の言葉で科学的に表現すると、「殺生石は地熱地帯のガレ場にある安山岩の巨石で、付近から有毒な火山ガスが噴出するので、この岩に近づく鳥や虫が死んだ。」となるのでしょう。

とにかく、殺生石は不気味な噴気の立ち込めるガレ場にある。そしてどんよりと曇った日には、死者も出たこともあったというから大変な存在です。

殺生石、此山間割レ残りたるを見るに、凡(およそ)七尺四方、高サ四尺余り。色赤黒し。鳥獣虫行懸り(いきがかり)、度々死ス。知知期(ちしご)ニ至りては、行逢人(いきあうひと)も損ず。然る(しかる)上十間四方ニ囲て、諸人不入(いれず)。辺の草育(そだたず)、毒気いまだつよし。(桃燐『陸奥鵆』むつちどり)

この「殺生石」の由来について『国花万葉記』元禄10年(1697)は、「玉藻の前」が化生し、毒石になったと記しています。

実際に行くとわかると思うのですが、硫化水素・亜硫酸ガスなどの有毒な火山ガスが噴出している場所なので、ガスの噴出量が多い時には規制がかかる場所でもあります。現在は「殺生石園地」として、観光化されていますね。

■「玉藻の前」九尾白狐伝説

玉藻の前」は鳥羽院の官女で、王位にあだをなし宮中を騒がせました。そのため安部氏に呪詛され、那須野にかくれたとなっています。そこで朝廷は、三浦介、上総介を派遣しました。この2人の矢によって「玉藻の前」は誅されたが、その執魂は化して毒石になったと言います。

この話はいつしか三国伝来の妖狐伝説になっています。昔、金毛白面九尾(こんもうはくめんきゅうび)の狐が化けて、魔訶陀国(インド)太子の妃・華陽夫人に化け、唐土(中国)では殷王朝を傾けたとされる妃・妲己(だっき)となり、日本に渡って鳥羽天皇の玉藻前となったわけですね。

至る所で人間を悩ましたのですが、ついに「安倍泰成」に看破されて白狐の正体をあらわし、那須野に逃れて石になった。しかし、人間をはじめ多くの鳥獣・虫類を片っ端から毒殺した。それで「殺生石」と言われるようになりましたが、最後に「玄翁和尚」の法力によって打ち割られて、妖狐の精ははじめて散滅したといいます。

さて、大田原市蜂巣というところに「玉藻稲荷神社」があり、玉藻の前の墓という狐塚があります。社殿の右手に鏡池という小さな池がありますが、玉藻の前がこの池に影を映したら、それが狐で、正体を見破られたという口碑がある場所です。

また、社の近くには「犬追物の跡」もあります。「三浦介」らが妖狐を討つために犬を放って騎射の訓練をしたところという。しかし、伝説というものは、いろいろなものが付加されて、その幅を広げていますね。そして一層に、歌謡・浄瑠璃・歌舞伎に脚色されて、現代へと息づいているということです。

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■那須温泉神社

那須温泉郷」は、舒明天皇(629~641)の時代に発見されたと記されています。郡司の「狩野三郎行広」が白鹿を追ううちに、白髪の老婆にあい、その教えによって温泉を見つけ、そして鹿を射止めることができた。よってこの老婆を祀って造立したのが「温泉神社」と伝えられています。

まあ、由来はともかく、那須の温泉神社の正式名は「温泉ノ神社」と言います。延喜式内社にこのことが見えています。また、鎌倉時代に書かれた『平家物語』に、「那須与一宗隆」が屋島の合戦で扇の的を射るとき、この社に祈願をこめたことはよく知られていますよね。

祭神 

    大己貴命(おおなむちのみこと)
    少彦名命(すくなひこなのみこと)
    誉田別命(ほんだわけのみこと)
この三神ですね。正直、なぜ誉田別命が祀られているかがわかりません。もともとこの方は「神功皇后」の子で応神天皇とされています。三韓征伐の際にはすでに身籠っていたという人物ですが、基本的には全国の武家からの信仰が厚い方であって、「弓矢八幡」と称され崇拝をうけていました。また、神仏習合がなり「八幡大菩薩」としても有名ですね。
さて、「白狐伝説」が極めて有名になったわけですが、この「那須温泉神社」のかかわりはほとんどありませんね。温泉神社の記述にも、殺生石のことに関してはまったく触れておらず、しいて言えば、今風にCM効果をねらったのかな、と言えなくもないですね。

■鹿の湯

この那須温泉郷で最も古い源泉が「鹿の湯」ですね。由来は「温泉神社」のところで記しているので省略します。後に「那須温泉郷」で掘削・開発された源泉を含めると10ヶ所ぐらいはあります。

「鹿の湯」の源泉発見の後、現在までに複数の温泉が発見され、近世では那須湯本温泉、板室温泉、大丸温泉、弁天温泉、北温泉、高雄温泉、三斗小屋温泉が那須七湯(なすしちゆ)として広く知られていましたが、大正期には新たに発見された郭公温泉、飯盛温泉、旭温泉に湯本温泉から引水した新那須温泉を含め那須十一湯(なすじゅういちゆ)と呼ばれていたみたいです。

現在では郭公、飯盛、旭は廃れ、那須湯本温泉、大丸温泉、弁天温泉、北温泉、八幡温泉、高雄温泉、三斗小屋温泉の7つを「那須七湯」、これに新那須温泉を加え那須八湯(なすはちゆ)としています。

やはりもっとも有名なのは、那須湯本温泉の中に位置する「鹿の湯」でしょう。日帰り温泉施設として有名ですが、「殺生石園」にも近く、観光のついでに立ち寄る方も多いと聞きます。

さて、この「鹿の湯」ですが、通常の日帰り温泉施設とは一味違い、ある意味マニアックが温泉施設とも言えます。身体や髪を洗う場所はなくシャンプー・石鹸等は一切使用禁止、強酸性のかけ湯とかぶり湯で身体を流すシステムです。

いわゆる「湯治」に徹した温泉ということですね。少し草津に似ているところもありますが、浴槽は手前から41℃、42℃、43℃、44℃、46℃、48℃の6つ。また、「効果ある入浴の心得」というものが掲示してありますので、入浴前に一度目を通したらいいと思います。

硫黄泉、濁り湯ですが、かなり硫黄の匂いが強いですね。この匂いが苦手な方は入浴は避けた方がいいかもしれません。気分が悪くなる恐れがありますね。

別府温泉でいうと「明礬温泉」は別府八湯の中でも硫黄の匂いが強い温泉です。この那須湯本と同じで、明礬も「湯の華」が有名ですからね。

また、こういうシステムの温泉が嫌いな人もオススメできません。旅館・ホテルの日帰り湯を利用された方がいいと思いますね。料金も500~600円なので変わりません。

霊泉鹿の湯

営業時間  午前8時~午後6時(最終受付5時30分)

料金    土日祭日 大人500円  平日400円

小人300円(小学生以下)幼児無料

但し、4月1日以降は500円になるそうです。基本は年中無休ですね。

平日も近隣の方が多く入浴し、土日祭日になると観光客も含めて多くの人が詰めかけますので、ある意味、芋のこ洗いみたいなもので、午後3時過ぎると徐々に空いてくるとのことです。とにもかくにも、話のネタに一度行かれてください。

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■那須高原

那須高原」は古くから知られた「那須温泉郷」で有名な観光地で、大正15年(1926)に開かれた皇室専用の「那須御用邸」がある所でも知られています。

観光地としては、優等生的な場所で、スキー場、温泉、遊園地、また、ショッピングセンター、美術館、ゴルフ場などすべての施設が整っています。

また、東京都心から東北自動車道や東北新幹線が通っており、アクセスは抜群によく、日帰り観光としても人気がありますね。

また、ここに「那須高原展望台恋人の聖地」もありますね。全国で100番目に登録された「恋人の聖地」です。展望台ですから景色は抜群です。駐車場もあり、トイレ設備も整っているので安心です。よかったらいかれてください。冬は凍えるぐらい寒いですよ!

🔶那須温泉郷まとめ

東北自動車道那須ICに接する那須街道(栃木県道17号那須高原線)が那須高原内の各観光施設へのメインアクセスルートとなっており、「道の駅那須高原友愛の森」もこの街道沿いにあります。

私は、この道の駅はまだ行ったことはありませんが、口コミ評価や情報などを考慮しても、特質したものはなく、休憩施設としての立ち寄りが多いみたいですね。

また、農産物直売所はけっこう人気があるみたいで、商品の質がよく、低価格でいろいろな野菜が買えるとのことです。

平成23年(2011)5月22日には那須御用邸の敷地の約半分が一般開放され「那須平成の森」として開園し、同時期に観光案内施設として那須平成の森フィールドセンターと那須高原ビジターセンターが設置されています。

那須御用邸の森の一部が、自然散策、自然体験を楽しむ公園として公開、開放されて公園となっています。ビジターセンターを中心にいくつかのコースが設定され、森や季節の植物など、自然を楽しめるようになっているとのことです。

自然が豊かであり、四季折々の楽しみ方ができる那須高原一帯の地、歴史あり、伝説あり、そしてレジャー施設ありの日本でも有数の観光地です。なるほど、皇室がこういう土地に御用邸をつくるのも分かりますね。

今日は最後までお読みいただきありがとうございました。

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