【下諏訪温泉】観光と歴史、神が宿る湯

【下諏訪温泉】観光と歴史、神が宿る湯

こんにちは、ワカマツです。

長野県下諏訪町に広がる「下諏訪温泉」、昔から交通の要所であり、甲州街道中山道が合流する地域でもありました。諏訪湖を望む景勝地としても有名で、幾つもの神伝説が存在する温泉郷です。

🔶御柱祭に代表される下諏訪の温泉郷

■皇女和宮の御止宿

今から20年前ぐらいになると思いますが、この下諏訪町にはよくお世話になりました。この地域は日本を代表する電子機器メーカーの工場がいくつもあり、例えば京セラやオリンパス、またシチズンやセイコーなど大手の企業が軒をひしめいていました。

今でも現存していると思いますが、その当時は携帯電話の急速な復旧に伴い、どの企業も大幅な設備投資を行い生産を加速させていました。その関係でこの下諏訪町にも、多い時には月に3度ほど訪れており仕事の傍ら、温泉に入ったり観光地を訪ねたりと、休む暇なく動いていたことを思い出します。

とりわけ、塩尻峠から見る諏訪湖の景色が素晴らしく、何回も足を通わせたことを覚えていますね。

スポンサーリンク



さて、信州の下諏訪温泉は江戸時代、甲州街道と中山道の交わる地点として栄えてきました。中山道といえば、木曽路を通り、塩尻から峠を越えて岡谷から下諏訪まで続き、そこから和田峠に抜けて、笠取を越え小諸から軽井沢、そして碓氷峠を超えて上州群馬へと続く街道、また甲州街道はこの下諏訪から茅野をとおり白州(現、北斗市)をぬけ、甲府から勝沼、そして大月をこえて八王子へとぬける街道。

安藤広重の『木曽街道六十九次』にもこの下諏訪温泉は描かれています。宿の廊下の隅には、大桶のような形をした風呂があり、旅人がその風呂桶で湯に浸かり、一間おいた大きな部屋では、飯盛女の給仕で6人の男が夕飯を食べている風景である。

このうち背を向けて食事をしている男が、安藤広重だという。この頃とゆうのは、朝夕入浴するだけではなく、洗濯にも温泉を使っていたらしく、養生の湯と洗濯の湯に分かれていたと聞ききます。

『木曽名所図会』には、下諏訪のことがこういう風に書かれている。

和田峠へ山路五里八町、名にしおう下ノ諏方、此街道の駅にして、旅舎(はたごや)多く、紅おもしろいに粧ふたるうかれ女たちつどい、とまらんせととまらんせと袖をひき、袂(たもと)をとりて旅行く人の足をとどむ。町の中に温泉ありて、此宿の女あないして浴屋の口をひらき浴(ゆあみ)させける。謀外よろずの商人多く駅の中の都会也。

2つの街道の合流点は、「綿の湯の跡」の前で、ここに問屋に本陣、脇本陣などがあって大いに栄えたという。

享和元年(1802)の「宿明細帳」を見ると、宿屋は42軒あったと記されている。下諏訪温泉が今日なぜ多くの観光客に喜ばれているかといえば、やはりこの当時の面影が強く残っているからであろう。

歩いてみるとわかるが、特に街道筋に面した甲子造りや低い二階の出し造りなどはそのままである。二階への幅広い緩やかな階段、すすけた低い天井、欄問の透かし彫りとそれらを残した民家もまだ数多く点在し、現在に至っている。

それが今の下諏訪温泉を支えている源として生きずいているのではないかと感じています。

高札所はもと綿の湯の三差路に、桝型は諏訪大社秋宮の境内にそって一ヶ所あったといわれ、問屋と本陣は岩波家が兼ねて幕末まで続き、いまはその旧蹟に碑が立っています。



参勤交代の時にこの宿に泊まった大名は、彦根藩井伊掃部頭、美濃大垣藩戸田采女正、美濃八幡藩青山大蔵ら多くがいたが、いまでも下諏訪で語り草になっているのは、「皇女和宮」の御降嫁の時であるという。

安政年間の末頃から、公武合体論が唱えられ、皇室と将軍家との婚儀が取り上げられた。そこで孝明天皇の妹和宮はすでに「有栖川熾仁親王」とのご内約があるにも関わらず、14代将軍徳川家茂のもとへ嫁ぐこととなった。

天皇ははじめ反対したが、幕府が京都所司代を通じて必要に迫ったため、ついに和宮の降嫁をしぶしぶ承認。和宮は文久元年(1861)10月、江戸下向の旅に出ることになった。

さて、その江戸までの道筋にある街道はてんやわんや、文久元年4月1日に郡内の村町を廻った「和宮様御下向御触」によると、伝馬は人足5339人、馬は648頭、これでは不足ということで、上諏訪宿、金沢宿などの人足1698人、馬は165頭、併せて7037人、813頭となっている。

人馬を集めればたくさんの小屋が必要になってきます。記録によると、道路を一尺掘り下げて路床をつめ、土をおき、砂利を敷き、側溝も造ったそうです。

山崩れを防ぐための人足は合計18928人、石工989人を要し、道を照らす篝場(かがり火を灯す所)176ヶ所作るため741人を要したという。

さらには、街道筋の主の橋を10ヶ所も架け替えて、小橋を51ヶ所作るために人足4814人、架け替え人足12155人、大工2214人を配している。

和宮がここを通るまでは諏訪湖の魚類は一切自由に売ってはならない。和宮の噂をした者はすぐに召し捕らえよ。往還におおいかぶさっている木の枝は伐採すること。

見苦しい所は松葉囲いをし、便所などは見えないようにせよ。またわらじを店先に吊るしてはならない等々、すさまじいばかりの注文がついている。

まさに下諏訪の住民にとっては「晴天の霹靂」ともいうべき珍事であったみたいだ。

そして和宮は10月20日に京都の桂離宮を立ち、11月5日、下諏訪の本陣岩波太左衛門に泊まり、その夜はおそらくひとり寂しくこの下諏訪の湯に浸かったのであろう。翌朝7時に宿を立って和田峠へと向かって行ったとのことです。

まあ、いずれにせよ、現在でも天皇陛下が御訪問されるとなれば各自治体では大変な騒ぎになるので、ましてやこの時期の出来事は、ある意味、天地をひっくり返す出来事であったにちがいないでしょう。

スポンサーリンク


■伝統ある奇祭「御柱祭」

中山道と甲州街道が合流する所に「綿の湯の跡」があります。これには伝説が付いています。諏訪の「八坂刀売命(やさかとめのみこと)」は、はじめ上社の方に同居しておられたが、何か争いごとがあり別居されることになり、女神様はそこに湧き出ている温泉を「私の化粧の湯だから」と綿に含ませて持ってこられ、下社の地に置かれた。

すると、そこから温泉がぼこぼこと湧きだしたという。そこで「綿の湯」と命名されたという。

武田信玄が永禄9年(1566)に諏訪明神の祭祀を再興した文章の中でも、綿の湯について触れており、明治初年には泉源から石斧、大正14年にはたくさんの宗銭や経文を書いた小石の数々が発見されている。

私も経験したが、下諏訪に泊まって楽しいのは、やはり共同浴場のはしごができることですね。昔、雲水が泊まっていて、朝托鉢に出かけ、夕べに帰ってきて湯に入ったという「旦過の湯」、それに「児湯温泉」や「菅野温泉」、「湖畔の湯」などあってさながら楽しいばかりです。

そういえば、下諏訪ではないですが、山の中の「白骨温泉」にも一度足を運びました。正直、どういうルートでいったのかはまったく覚えていません。

地元の方の運転でいったので、道筋に関してはどこを通って行ったのかは未だに不明です。確か、松本市方面から行った記憶があり、途中にダムがあったと思いますね。この「白骨温泉」に関しては後で書いていきます。

さて、下諏訪温泉にきて誰もが足を運ぶのは「諏訪大社下社秋宮」ですよね。境内は樹木がうっそうと茂り、小鳥のさえずりが聞こえる本当に心安らぐ場所だと思います。

祭神は「建御名方命」とその妃である「八坂刀売命」です。諏訪大社は正しくは4つあり、上社の前宮は茅野市宮川小町屋に、本宮は諏訪市神宮寺、下社の春宮は下諏訪町下原、秋宮は下諏訪町小湯の上下に鎮座しています。

鎌倉時代から日本第一の大里神として多くの武将の崇敬を集めてきました。徳川家康は、諏訪大社を祀る家柄として諏訪頼水をわざわざ旧領に帰して高島藩主としたほどで、家光以降代々の将軍が、上下社に朱印や千五百石を寄進しています。

いまでは諏訪社の末社の数は5000を超え、なんと南米ブラジルにもあるとのことです。これは知らなかった。

この諏訪大社が最もにぎわうのは、申(さる)年と寅(とら)年、7年ごとに行われる「御柱祭」です。

下社と上社に各4本ずつ計16本のモミの木(御柱)をたてる勇壮な行事で、山から御柱を伐りだして「山出し」する行事と、その御柱を神社まで曳いてくる「里曳き」の行事に分けられます。

上社の「山出し」は4月上旬、八ヶ岳西麓の御小屋岳の神域から、下社は霧ケ峰の東俣国有林から始まる。一本の長さは最高16.7メートル、太さは直径約1メートル、重さは1トンほどの巨木で、これに元網がつき、2000人近い氏子たちが掛け声勇ましく曳き落とす。

その木にまたがる命知らずの若者たちは、ボロボロと木から転げ落ち、なんともスリルに満ちた奇祭であります。何回か前には死亡者も出ましたが、神に捧げる神事、なんとも勇壮で男気がある考え方に割腹でございます。

次の「御柱祭」は2023年、本当は平成34年と書きたかったのですが、残念ながら平成も31年4月まで、できることなら見に行きたいという気持ちでいっぱいてすね。


🔶下諏訪温泉の観光

■万治の石仏

万治の石仏とは、下諏訪の諏訪大社春宮の裏手の、細い川を隔てた向かいの田んぼの真ん中にドカッと座っている大きな石仏です。

高さ2m60cm、横3m80cm、奥行き3m70cm、胴回り11m85cm、顔の長さ65cm、顔周り1m38cm、重さ不明の自然石に細長い首がのっています。

堀の細い目、バカでかい鼻、イースター島のモアイに何となく似ていて、思わず宮崎のサンメッセを思い出してしまいます。胴体には印を結んだ手と駕婆が線彫りされ、左側に「南無阿弥陀仏」と小さく彫られ、「明挙浄光心誉慶春」という願主の名前と「万治三年十一月三日」という年月が微かに読み取れる。

最初、地元の人たちはこれにまったく関心を示さず、長いこと雑草に埋もれていたと聞きます。一番最初に世間に紹介したのは、紀行作家の「山本鉱太郎」氏ではなかったかと思います。

それを見た芸術家の「岡本太郎」氏が芸術新潮の編集長とここを訪れて、「世界中歩いたが、こんな面白いのは見たことがない」とほれ込んで朝日新聞に書かれたのがきっかけで広まったと記憶しています。

その後漫画家の谷内六郎氏、イラストレーターの真鍋博氏、作家の永六輔氏が次々と訪れて「万治の石仏」は一躍有名になりました。

さすがに町もあわてて、「万治の石仏」の記念碑を立てて対応したという、おもしろい出来事があったみたいですね。

近くには駐車場はありません。諏訪大社春宮の駐車場に車を止めてくださいね。徒歩5分程度で到着します。トイレは神社のトイレを使用するとともに、石仏の近辺は舗装されていないのでご注意くださいね。

私も見に行きましたが、普通の石仏とは違い、本当に面白い、諸説色々とありますが、下諏訪に寄られた際は、とにかく一度見に行ってください。見ないと損ですよ。

スポンサーリンク


■諏訪大社下社春宮・秋宮

そもそも、諏訪大社は、上記にも記したように、四社合わせて「諏訪大社」と呼ぶ。歴史は神代に及びますが、ここに来て色々な説が飛び交っていますね。正直どれがほんとうなのか、諏訪大社の上社には土着の神であった「ミシャグジ」という神様がいたと伝えられていますが、定かではありません。

祭神の一人である「八坂刀売命」も『古事記』・『日本書紀』には記されていない。『風土記』にも姿がないので、あくまでも後付けされた可能性も考えられます。

まあ、歴史的概要はさておき、入口の御影石の大鳥居は万治二年(1659)建立と推定され、境外にある万治の石仏と同じ作者と言われます。

社頭から真直ぐ800m程伸びる道路はかつては春宮の専用道路で、下社の大祝金刺一族を始め多くの武士達が流鏑馬を競った馬場でした。途中の御手洗川に架る下馬橋は室町時代の建立ですが、建築様式は鎌倉時代のもので1730年代の元文年間に修築されましたが、下社では最も古い建物で遷座祭の折に神輿はこの橋を渡ります。

この「御柱」とは別に春宮では「結びの杉」と言われている御神木があります。近年パワースボット的存在になっおり、早い話が「縁結びの杉」と称して人気が出ているみたいですね。

この諏訪大社は国の重要文化財に指定されています。信濃国一宮であり、旧社格は官幣大社ですから大変由緒ある神社であることは間違いありません。

調べてみたら全国に末社が25000もあるんですね。この数は凄いです。その総本社として「お諏訪さま」とか「諏訪大明神」とかいう名前で呼ばれているのはよく聞きます。

この四社の配置ですが、ちょうど諏訪湖を挟んで鎮座しています。なぜこういう配置で建てられたのか、実際のところはまだわかっていないのが現状です。ここに諏訪大社本来の意味が隠されているのではと感じますね。

下諏訪町にお寄りの際は是非いかれてください。




■諏訪湖

何と言ってもやはり「諏訪湖」の景観ですね。私も始めて塩尻峠から見た時は感動しました。夜景もいいですね、諏訪湖のとこだけが真っ黒で、岡谷市から下諏訪町、諏訪市から茅野市にかけての光の帯がつながり、幻想的な世界観を生み出しています。

この真っ黒い諏訪湖だけを見ていると、まるで大蛇が大きな口をポッカリ開けているようにも思えて、神々が宿るとされる諏訪湖の神話がひしひしと感じられます。

景観はいろいろなところから見れます。塩尻峠であったり、岡谷市の湖岸であったり、また下諏訪の湖岸に広がる温泉街からもいい眺めが堪能できます。

周囲は約16キロで全体的に湖岸道路が通っているから湖を見ながらのドライブもいいですね。この諏訪湖公園から遊覧船もでているので、時間があれば乗ってみてください。湖の真ん中から見る景色も一味違い、八ヶ岳を中心とした山岳の景色が一層素晴らしいものに感じてきます。

諏訪湖観光汽船時刻表

9時30分・10時30分・11時30分・12時30分・13時30分・14時30分・15時30分

11月26日(月)~3月中旬頃の平日及び土日祝日の運航時刻になります。
10名様以上の団体のお客様は上記以外の時刻でも運航致します。
天候や予約状況などにより運休になることがございます。
一周約25分です。

諏訪湖一周 上諏訪~上諏訪 一般料金

団体料金(10名様より)
大人 900円(税込) 団体 810円(税込)
子供 450円(税込) 団体410円(税込)

■日帰り立ち寄り湯

遊泉ハウス児湯

ここは何度も訪れています。車を諏訪大社秋宮にとめていつも歩いて行きますね。ものの2~3分で到着しますよ。

ここは上記にも記した神湯伝説で知られる「綿の湯」の源泉です。現在の浴場は江戸時代中期以前から街道を行き交う旅人に親しまれ、日本三古湯として有名な綿の湯と、湯質が良く特に子宝に恵まれるとの評判が高かった児湯の跡地に、昭和62年に遊泉ハウス児湯として新築。やわらかく温まるお湯として知られています。

駐車場はあります。私が勝手に歩いて行くだけで、実際には乗用車40台分ぐらいは止められます。ここはとにかく入泉料が安いんです。銭湯なみですよ。金額的に見てもここが一番いいのではと思います。装備も一通りそろっているので、困ることはないですね。

実際はどこの立ち寄り湯も安いです。この下諏訪温泉は本当に良心的ですね!

料金:子供110円 大人:230円

住所
長野県諏訪郡下諏訪町3477
TEL
0266-28-0823
営業時間
5時30分から22時00分まで (最終受付 21時30分)
定休日
年中無休

※一応代表的に「遊泉ハウス児湯」を挙げましたが他にも10ヶ所ほど立ち寄り湯はあります。どこも本当に入泉料が安いので気にせずに入れるのがいいですね。詳しくは下記のサイトからどうぞ。


🔶下諏訪温泉まとめ

この下諏訪温泉を訪ねる度に思います。諏訪湖の景観、そして昔ながらの手の籠った建屋造り、そういえば去年ですか、諏訪湖に「御神渡り」がみられたそうですね。

私はまだ一度もみたことはありませんが、冬期に諏訪湖の湖面が全面氷結し、氷の厚さが一定に達すると、昼間の気温上昇で氷がゆるみ、気温が下降する夜間に氷が成長するため「膨張」し、湖面の面積では足りなくなるので、大音響とともに湖面上に氷の亀裂が走りせりあがる現象のことですが、現実的なことを書いても仕方がありません。

もしかするとこの現象は本当に神が引き起こしたかもしれません。なぜなら、四社が諏訪湖を挟み鎮座していることに関係しているということです。「神々の出会い」ではないですが、そういった空想もまたおもしろいですね。

スポンサーリンク



※「歴史」・「生活」・「政治・経済」のブログもあります。興味がある方は覗いてください。

※無料写真ダウンロードも開設しています。




%d人のブロガーが「いいね」をつけました。