【銀山温泉】おしんのふるさとに見る大正ロマン

【銀山温泉】おしんのふるさとに見る大正ロマン

こんにちは、ワカマツです。

冬に似合う温泉、日本の温泉郷はどこを見ても雪景色がよく似合います。今から約30年近く前の話になりますが、東北地方の温泉を廻った時に、とても印象に残った温泉郷がありました。

宮城県尾花沢市に位置する「銀山温泉」、ここも島根県大田市に位置する「温泉津温泉」同様、銀山とゆかりの深い温泉郷です。今回はこの「銀山温泉」について、少しだけですが当時の秘話があるので記していきます。

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よかったら最後までお付き合いください。

🔶大正ロマン漂う東北の別天地「銀山温泉」

■銀山と銀山温泉の関係

不思議に銀山と温泉には昔から深いかかわりがあるように見えます。地図を見ても名だたる鉱山の周辺にはたいてい温泉マークがついています。

特に北海道では、金・銀・銅山から石炭に至るまで、その採掘をした会社が所有する温泉という例が多い。

「銀山鉱」ですぐ思い浮かぶのは島根県大田市に位置する「温泉津温泉」。

今では漁村に湧く静かな出湯という観ですが、この「温泉津温泉」は大森銀山で採掘された銀を積みだした港で、最盛期には大変栄えた温泉郷でありました。

雪深い奥州の山奥に湯けむりを上げる「銀山温泉」も、温泉津温泉同様、銀山鉱と共に栄えた温泉でした。

慶長・元和・寛永年間(1596~1643)に栄えた銀山鉱で、名前は「延沢銀山」と言いました。記録を見ただけでもどれだけ繁栄していたかがわかりますね。

最盛期には、4万数千戸数、人口は約22万人と記録されています。

この当時の江戸の人口が約50万人強ですから、どれだけ栄えていたのかわかります。

この周辺はそんなに広い土地があるわけでもないので、この銀山川のほとりにひしめきあうように住宅が立ち並んでいたと想像されます。

(よく、江戸の人口が100万と言われていますが、あれは何かの間違えです。この人口の分布計算に問題があり、実際に住んでいた人は江戸市中では60万がいいとこだそうです。)

しかし、寛永年間(1661~1673)にはほぼ掘り尽くされて、銀山関係者が返す波のごとくこの地を去ってしまうと、さびれた温泉街のみが残されたと聞きます。

ただ、湯治場本来の姿になったのであり、近在の人々からは長く愛され続けて来た温泉郷でした。

しかし、大正2年(1913)の銀山川の氾濫によって、ほとんどの湯宿が流されて源泉の湧出量も減少してしまったと聞いています。

壊滅状態に陥った「銀山温泉」ですが、ここでも根強く再生します。昭和元年に新たな発掘作業で湧出量を取り戻し、ここから今に見る3~4階建ての町並みへと変貌していきました。

しかし、「銀山温泉」はとりたてて全国的に話題にのぼることもなく、近くに大きな観光地があるわけでもなく、ましては日本有数の豪雪地帯ということもあり、知る人ぞ知る、近在の人々のための湯治場に変わりはなかったように思えます。

■「おしん」が広めた銀山温泉

この「銀山温泉」を一躍全国に広めたのは、NHKの朝の連続テレビ小説「おしん」であったことは間違いがないでしょう。

私も見ていましたが、物語ではおしんが最上川を舟で下って、酒田まで奉公のために行く途中、「銀山温泉」を訪れるというくだりになっていたかと思います。

また、こけし工人から温泉土産のこけしを貰ったおしんは、それを生涯生きる支えにしたという物語でしたね。

ここで少し私の話ですが、この「銀山温泉」を訪れたのが今から30年前、当時「おしん」の影響もあって、ここ銀山温泉では、右肩上がりに観光客が増えていました。

私が当時宿泊した旅館は、「小関館」、現在では旅館業は廃業していますが、当時、小関館の小関静江さんは温泉一の人気おかみさんで、湯治客からも親しまれていました。

この方のお話を聞いていると、どうしても「おしん」とおかみさんがダブッて仕方がありませんでした。当時、宿泊した中で人生に関するとてつもない話をきかされたことを思い出します。

この小関静江さんが子供のころは、まだまだ貧しい人が多かったため、凶作の年などは「娘を売ってしまう」とか、「おば捨て」の話までも実在したそうです。

こういう話は特に東北地方に多く見受けられますが、当時読んでいた柳田国男の「遠野物語」にもこれに関連した話が載っています。

小関藤枝さんが初めて隣県の宮城へ行った時、山間の至る所に咲き誇る藤の花の美しさに感動し、母親に「なぜ山形方面に藤の花がないのか」と聞いたら、お母さんは「山形は貧しい暮らしの人が多く、藤づるは刈り取られて、籠材などに使われるのだよ」と教えられたと言ってました。

小関静江さんはその頃から祖先の苦労を思い、自制して頑張ってきたとのことでした。

大正2年建造の「小関館」は、木造3階造りですが、2階の温泉神社参道に面した部屋は、昭和の初め頃から誰いうともなく「子宝の間」と呼ばれていました。

宿側ではそんなことを言ったことはなく、部屋に書いてあるわけでもないが、多分、その部屋で湯治して子宝に恵まれた女性からの口コミで広まったのでしょう。

また、宿の脇の道を登っていくと山の上に「珍宝さま」と呼ばれる神社がありました。

今、その神社が現存しているかは定かではありませんが、当時そこには、男根をかたどった巨大な「金精さま」がずらりと並んでいて、どれもがデカデカに光っていました。

その奥に積まれているお手玉ほどの小さな枕があり、安産の御守りとして崇められていました。妊娠した女性がひとつ借りていき、出産する時に枕元に置いておくそうです。

無事出産した御礼に、それを二つにしてお返しするというものだったと思います。

確かこの話を聞いて、思い出したのが先に書いた「鳴子温泉」の話でした。ここにもそういった習わしの神社が存在したといわれ、今でも地元の方はこれに似たことを風習として守り続けているとのことでした。

こういった土俗的な風習はここだけではなく、青森・秋田・岩手にかけて多くなります。いまでも湯治場に行くと、湯舟のかたわらに「金精さま」を見かけます。

「銀山温泉」の歴史を物語る小関静江さん、まさにこの地の生き証人であり、小さな温泉郷をつかさどるシンボル的な存在ではないでしょうか。

だからこそ「おしん」の人生と小関さんの人生が同じに思えてなりませんでした。

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■「銀山温泉」観光

正直言って、この辺りには特質した観光地がないのが現状ですね。また、この「銀山温泉」の建物が観光地化されていると言えるのではと思います。

今では、「千と千尋の神隠し」の題材になったのでは、いう噂も飛び交っていますが、そういわれるのも分かるような気がしますね。

また、「ハイカラさん通り」というお店もあり、名前のとおり大正時代を想わせるカリーパンやくじら餅などを販売して人気が出ています。

現在、河川敷には「足湯」も造られています。雪の降る中での足湯のひと時もなかなか粋なものかもしれません。

■最上三十三観音、第二十四番札所「上ノ畑観音堂」

住 所 尾花沢市上柳渡戸207

お問合せ ☎0237-28-2437

尾花沢市街地から来ると、銀山温泉の3キロほど手前にあります。もとは銀山温泉の裏山にあったそうで、移築された原因は明らかにされていませんが、多分、管理面からのことだと思います。

■白銀公園

延沢銀山のあった場所につくられています。その銀坑洞と銀山川の周囲を含めた自然公園が白銀公園と呼ばれているところですね。

位置としては銀山温泉の一番奥になります。自然景観型の公園として、秋には紅葉が素晴らしく、また夏はこの白銀の滝で納涼を得ることができます。

🔶「銀山温泉」まとめ

銀山閉山から約370年、幾度かの災難にも会いながら、根強く再生してきた「銀山温泉」。東北の山奥に広がるこの温泉郷は九州の温泉郷にはない特有の風景と情景を映し出していました。

宮城の「鳴子温泉」もそうでしたが、こけし工人が住む里でもあったわけです。

また、「おしん」という番組は、そういった東北特有の土俗性を表現したシナリオでもあったわけですね。それが功を奏してこの「銀山温泉」を名だたる温泉郷へと伸し上げていったように思えます。

そういえば、宿泊した時の夕食に、最上川で獲れた川エビが出されていたのを覚えています。その姿は伊勢エビ似ていてとてもおいしかった記憶があります。

雪深い温泉郷「銀山温泉」、本当に雪が似合う大正ロマン漂う温泉郷です。

今では死語になっている「ハイカラ」という言葉もこの「銀山温泉」では普通に通用するでしょう。

今日は最後までお読みいただきありがとうございます。(SORA2018事務局)

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